④日吉ダム~琴滝~京丹波 味夢の里~丹波里山レストランBonchi
府道363号から府道50号の京都日吉美山線に入る。天若湖や日吉ダム沿いの道は景観も良く、運転が楽しいドライブコースになっている。
淀川水系の桂川上流に位置する日吉ダムは、京都府南部、大阪や兵庫の生活用水、農業用水を確保し、下流の水害を防ぐために建設され、平成10(1998)年3月に完成した。日吉ダムによって誕生した人造湖の天若湖は、桜や紅葉の名所として、またブラックバス釣りのスポットとして知られる。日吉ダム防災資料館は土・日曜、祝日は休館だが、見晴らしの良い屋上スペースは開放されていて、満々と水を湛えた日吉ダムや天若湖が一望できるのでおすすめだ。
国道9号を経て、京丹波町に入り、京都縦貫道丹波I.Cのそばの「琴滝」へ。高さ43mで京都府内最大級を誇り、巨大な一枚岩を流れ落ちる水が、13弦の琴の糸のように見えたため、当時の藩主・松平紀伊守が命名したと伝わる。滝の水源の小滝池が管理されているため、流れ落ちる水量は穏やかだが、巨大な一枚岩は迫力があるので、静かに流れ落ちる水を眺めているだけで、心身ともに深くリフレッシュされる。
京都縦貫自動車道のS.Aでもある「道の駅 京丹波味夢の里」は、府道からも入ることができる。夕食まで時間があったので、隣接する「塩谷古墳公園」を見てまわることに。小高い丘に直径8mから最大15.5mの12基の古墳が連なる塩谷古墳群。5〜6世紀後半頃のもので、平成元(1989)年8月に5号墳から2体の人物埴輪が発掘された。頭に襲(おすい)を被った巫女の埴輪は大変珍しい。道の駅「京丹波味夢の里」内の「京丹波ステーション」の横に、レプリカが展示されているので、愛らしい姿を見てほしい。
道の駅に戻り「丹波里山レストランBonchi」で「京丹波黒豆づくし御膳2,050円」をいただく。丹波高原「丹波霧」の中で育った京丹波産の黒豆は、将軍家の献上品に選ばれるほど、特別な黒豆として愛されてきた。一般的な黒豆より粒がひと回り大きく、茹で上がりがふっくらしていて、もちもちした食感と深みのある味わいが楽しめる。そんな京丹波黒豆をすべての料理に使い、黒豆味噌で煮た魚の味噌煮、黒豆の煮汁で柔らかく炊いた京丹波高原豚の黒豆煮、衣に黒豆粉を混ぜた鶏肉の竜田揚げ、黒豆がたっぷり味わえる黒豆ご飯、サラダには黒豆入りの自家製ドレッシングなど、まさに京丹波黒豆づくし。
道の駅には、京丹波町や京都北部の特産品や土産物などが揃い、旅の土産や食料品を買い込んで、1日目は終了。京丹波町で一泊した。
【2日目】⑤胡麻分水界~猿田彦神社~東和酒造~福知山城
2日目は「胡麻分水界」からスタート。JR山陰本線胡麻駅のあたりは、なだらかな平地だが、この一帯が標高の頂点で、日本列島の背骨と呼ばれる「中央分水界」が通っている。道路を挟んで右側に降った雨は、由良川を経て日本海へ、左側に降った雨は胡麻川、桂川、淀川を経て太平洋へ注ぐ。「水分の路」として案内板が設置されており、雨の日に訪れれば、降る雨を眺めながら、自然の神秘を感じることができ、水の旅を想像して楽しめそうだ。
福知山市を目指し、国道9号を北上する途中で「猿田彦神社」を参拝する。
梅田春日神社の境内に「梵天帝釈天」を正中3(1326)年に勧請。庚申信仰の高まりとともに水原村の氏神になり、明治の神仏分離で猿田彦神社と改称された。
「水原の庚申さん」と親しまれ、毎年4月第1日曜に行われる春季大祭では、巫女姿の小学生らによる「太々神樂」の舞が奉納され、交通安全や雷除け、雨乞いが祈願される。欲望の心を抑える「くくり猿」は、新しいものが納められると大祭の時に供えるそうで、拝殿に色鮮やかな姿を見せている。本殿の脇には狛犬ではなく、「阿吽の猿」が安置されていて、こちらもお参りしたい。
女性杜氏が造る日本酒を求めて東和酒造に立ち寄る。享保2(1717) 年、京街道の生野宿のそばで茶屋を商い、醤油や清酒を造り出したのがはじまり。昭和 52(1977) 年、井戸枯れで酒造りができなくなり、製造委託で営業を続けてきたが、10代目当主が廃業を決意。「全て手放すなら、酒造りを再開したほうがいい」と長女の今川純さんが11代目当主を継いだ。
「夫婦で酒造りをしています。どちらかというと直感タイプの杜氏なので、主人はそれをサポートしてくれています」と今川さん。総米 500 kg以下の仕込みに限定し、細かな配合や調整を行うことで、様々な日本酒が誕生している。
代表銘柄「六歓」は、六人部地区で収穫した米で造った純米酒で、「六人部の歓び」と「第六感である“心”を歓ばせる」という思いが込められている。
「六歓あお1,760円 720ml」は今川家の自家用の井戸水を、仕込み水、洗米水、割水に使っている。米、米麹、水以外は使わない山廃仕込みで醸造。酸がきいた軽い味わいで、フルーティな香りと共に食べた料理の味をさらりと洗い流してくれるので、食を楽しみたい方におすすめだ。
クルマが福知山市内に入ると、遠くに福知山城の姿が見え、気分が盛り上がる。
織田信長に反旗を翻す勢力を抑え、毛利軍を攻めるルートの確保に丹波の平定は不可欠であった。天正7年(1579) 頃にそれを成した明智光秀が、丹波の拠点として築いたのが福知山城である。
明治の廃城令で城は取り壊されたが、石垣や銅門番所は現存する。野面積みの石垣に、四角に加工された石材が見られる。石仏、石塔、墓石の転用で、その数は500以上。当時の町衆が力を貸すほど、光秀は慕われた城主だったのではと想像するのも楽しい。
昭和61(1986)年に再建された天守閣の内部は資料館として、福知山の歴史や福知山城、明智光秀などに関する資料を展示。最上階からは、光秀が由良川の水害を防ぐために設けた明智藪を見ることができる。







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