かつて、軽スポーツカーとして名を馳せたホンダ「ビート」。生産を終了してから20年以上が経っても、多くの人に愛され続けている名車だ。その名車ビートの実質的な後継車として登場したのが、S660(エスロクロクマル)だ。
2シーターオープン軽スポーツとして、2015年4月より発売開始となったS660は、ホンダ史上、最も若い開発責任者(椋本陵氏。 2015年当時は26歳)が指揮を執り、つくり上げたことでも有名。
当時、まだ自動車メーカーの開発エンジニアだった筆者は、それを聞いて大きな衝撃を受けたことを覚えている。今回はこのS660がいかにクルマ開発の常識を覆したクルマであるか、元開発エンジニアの視点から、お話してみようと思う。
さらに2022年3月でS660の生産終了というニュースが入ってきた。最後の特別仕様車の情報もお届けします。
文:吉川賢一/写真:ベストカー編集部、HONDA
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■ホンダの企業風土が生み出した奇跡のミドシップ
ホンダは、「新しい事業分野を興そう」という「起業家精神」にあふれたエンジニアがたくさんいる自動車メーカーだ。
新車開発の動機は一般的に、古くなったモデルの化粧直しや前型車の課題を解決するため、新しい技術が完成したとき、また、売れそうなカテゴリを狙う、といったものである。
対してホンダは「自分たちが作りたいものを作る」というモチベーションを、ひと際大切にしているのだ。例えば、シビックタイプRでは「究極のFFスポーツカーをつくる」ということを長年追求し続けており、2代目NSX は「世界に通用するスーパースポーツカーをつくりたい」として開発されたものだ。
他にも、オデッセイやフィット、ヴェゼル、ステップワゴン、かつては初代NSXやS2000など、いずれもチャレンジングなクルマばかりだ。
このホンダのチャレンジスピリットは、ホンダ創業者である本田宗一郎氏の「失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」という言葉からきているものであろう。
チャレンジするものには、開発主査すらやらせてみるような自動車メーカーなんて、世界中を見渡してもおそらくない。若手に開発をゆだねられるチャレンジスピリットの風土があったホンダだからこそ、S660は誕生したのだと思う。
もちろん、この若い開発主査には、周囲の強力なサポートがあったというが、自動車メーカーの開発エンジニアとして10年以上、車両開発に携わってきた筆者としては、このホンダのチャレンジスピリットは、ライバルメーカーながら、羨ましく思っていた。
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