東京オリンピック2020の開催に向けて、現在急ピッチで準備が進められている日本国内。前回の東京オリンピックでは、その準備の過程で、日本国内の多くの道路が舗装され、高速道路が整備されました。
これにより日本のモータリゼーションは一気に進むことになりますが、それまで一般大衆には手が届かない存在であった自家用車を購入可能な価格で実現させた大衆車の出現も、日本のモータリゼーションを加速させた要因として、なくてはならない存在でした。
その時々の流行や、社会情勢の変化とともに変わるニーズを受け、変化する大衆車。本記事では、日本の各自動車メーカー大衆車がどう変わってきたのかを振り返っていきたいと思います。
文:吉川賢一、写真:トヨタ、日産、ホンダ
カローラは3ナンバー化し上級化、ヴィッツはモデル末期でも売れ行き好調
カローラは1966年11月に初代が誕生、50年以上の歴史を持ち、1969年から33年連続で国内乗用車登録第1位を達成するなど、日本の大衆車の代名詞といっても過言ではないクルマです。
その活躍は日本のみならず、世界15ヶ国で生産され150ヶ国以上で販売、1997年には累計販売台数でギネス記録を樹立するなど、いまや世界を代表する乗用車としてもその名は広がっています。
ただし、時代が移り変わるにつれて、セダンタイプのクルマではなく、コンパクトなクルマが求められるようになり、カローラの代わりとして大衆車となったのがヴィッツです。
1999年に初代デビューするや否や、1999-2000年の日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得、欧州カー・オブ・ザ・イヤーも受賞するなど、国内外で大人気となりました。現行型となる3代目ヴィッツが登場したのは2013年。
2020年2月にはヤリスへと名称が変わり、またさらに人気モデルとなることが予想されます。
サニー38年続くも2004年にブランド消滅、後継「ティーダ」も「ノート」へバトンタッチ
初代サニーである「ダットサンサニー」は、先述のカローラ登場の7カ月前である1966年4月に誕生、その後2004年までの38年間にわたって販売されていたクルマです。
排気量1000ccのスポーティなモデルとして登場するや否やたちまち大人気となりましたが、7か月後に登場したカローラが1100ccで登場、「プラス100ccの余裕」というキャッチフレーズ効果も相まって一躍人気となり、サニーはその勢いに釘を刺されてしまいます。
こうして始まった「CS戦争※」は、約40年にわたって続き、この間カローラとは、国内販売台数を競う、良きライバル関係にありました。
※カローラとサニーの頭文字をとり、両車の販売競争を示した。
しかし、日産の不調とともに、サニーは次第に販売台数を減らしていき、9代目となるB15型を最後に、実質的な後継車であるティーダ/ティーダラティオに後を引き継ぎ、2004年、サニーはそのブランドを閉じました。
そしてティーダ/ティーダラティオもまた、国内市場では一代で幕を閉じ、現在はコンパクトカーのノートが、その流れを引き継いでいます。
カローラが生き残った一方で、サニーは廃止にまで追い込まれてしまいました。その理由が、日産の不振だけにあったわけではなく、大衆車というキャラクタ上、コストに厳しかったことが影響し、必要以上にクルマとしての魅力を削いでしまったことが原因ではないかと考えられます。
しかし、その流れを受ける「ノート」で、2018年登録車販売台数ナンバー1を達成、昨年2019年もプリウスに続く、2位となるなど、モデル末期に近いノートですが未だ善戦しています。新型ノートのデビューは、2020年内を予定しているとのこと。
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