■日本の家族を支えたスターレット
スターレットの歴史も少し振り返りたい。スターレットの歴史は、1973年に送り出された初代「パブリカスターレット」に始まる。この頃は、スターレットと異なり、コンパクトなファストバッククーペで、のちに4ドアセダンも追加する。これは当時、パブリカの上級車というポジションだったことが大きい。
その名を広く知らしめたのは、1978年に登場した2代目だろう。このモデルより、馴染みのハッチバックスタイルに採用。ただ他社の小型車のFF化が進むなか、スターレットは、プラットフォームを刷新するも、FRにこだわった。この素性が、家庭からモータースポーツまで幅広い活躍を生む。女性専用仕様「リセ」やアイドリングストップ機構「エコランシステム」の採用など、時代のニーズを読んだ先進的な一面もあった。
1984年登場の3代目では、ついにFF化。やはり経済感覚がしっかりしており、早くもリーンバーンエンジン搭載車も用意。しかし、我々の記憶に強く残るのは、高性能な「ターボ」だ。
エアインテーク付きのボンネットやフルエアロなど、生意気にもスポーツカー風味を強めたデザインは、まさにボーイズレーサー。エンジンは、インタークーラー付きターボの武装により最高出力110psまで強化。その走りは、「韋駄天ターボ」の愛称に相応しいものだった。しかし、かなり無理もあったようで、じゃじゃ馬的な手強いモデルでもあった。
最後のスターレットとなったのは、1996年の5代目モデル。当時、トヨタが安全ボディとしてPRしていた「GOA」ボディを採用したアレである。スポーツモデルには、「グランツァ」という名が与えられ、マークII3兄弟にならい、NAが「グランツァS」、ターボが「グランツァV」と呼ばれた。
「21世紀のベーシック」を謳い開発されたが、21世紀の到来を待たず、1999年に生産を終了。わずか3年の短命に終わったのは意外であったが、その後は、世界戦略車としてのヤリスが受け継ぎ、4世代目となる現行型で、名称が世界共通の「ヤリス」に改められた。
家庭からモータースポーツまでの伝統は、ヤリスにもしっかりと受け継がれている。ただ新生スターレットには、そういう魅力は期待できないのが、ちょっと寂しくもある。ただスターレット復活のニュースで懐かしさがこみあげてきた人が多かったのではないだろうか。
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