今ならもっと売れたかもしれない?! 【一発屋グルマ列伝】

 世の中、一発屋といえば、一般的には一発当てて消えていったお笑い芸人やヒット曲を出したものの、あとが続かない歌手のことを指すことが多いが、クルマ界にも一発屋は多数存在する。

 登場当初は話題になったものの、その後尻すぼみとなって、一代限りで消えていったモデルのなんと多いことか!

 今回はそんな一発屋のなかから、比較的記憶に新しい、1990年代以降のモデルで、なんとも悲運で、名残惜しい一発屋グルマを6台紹介しよう。もしかしたら、今なら売れたかも……?

文/清水草一
写真/ベストカーWeb編集部


■先進的でスタイリッシュ、ハンドリングも秀逸だったのに……

マツダランティス(1993年8月誕生、1997年8月没)

低くて幅広いボディ、なだらかなルーフライン、短いリアオーバーハングなど、日本車離れしたスタイル。もう一方のセダンのほうもハードトップでスポーティなスタイリング。  エンジンは1.8L直4のほか、クロノス、ユーノス500、アンフィニMS-8などに積まれていたものをランティス用にチューニングし直し、170psまで高められた2L、V6エンジンをラインアップ

 1989年から始まった、マツダの暗黒の歴史ともいえる、5チャンネル販売体制。これによって多くの一発屋……、いや、一発も当てられないまま消えていった多くのモデルが生まれたが、そんななか、「悲運の一発屋」として賞賛したいのが、ランティスだ。

 今思い返しても、ランティスは実に先進的かつスタイリッシュなクルマだった。ボディタイプは5ドアハッチバッククーペと4ドアハードトップセダンがあったが、特にハッチバッククーペが超スタイリッシュ。ロングホイールベースに、キャビンをキュッと絞ったスポーティなボディを乗せ、前後オーバーハングは短く、タイヤは力強く大地を踏みしめていた。当時私も一目でファンになりました。

 メカニズム的には、マツダ自慢(?)の2L、V6エンジン(170ps)搭載が特筆されるが、ハンドリングも実に秀逸で、意のままに走ってくれるフィーリングは、現在のマツダのZoom Zoomに受け継がれている。

 しかも、1996年の衝突安全基準を真っ先にクリアしたボディを持っていたのですよ!

 しかし悲しいかな、当時のマツダは5チャンネル販売体制の混乱で国内販売が大混乱。こんな「小さな高級車」を出されても、それを売るブランドイメージは皆無で、5年間で4万台余りを売ったのみで消滅とあいなりました。時代を先駆けたいいクルマだっただけに、その悲運ぶりに涙が出ます。出るのが20年早かった……。

■飽きのこないボクシーなスタイルは今でもウケそう

日産ラシーン(1994年12月誕生、2000年8月没)

ドラえもんをイメージキャラクターに起用し「新・ぼくたちのどこでもドア。RUN!RUN!ラシーン新発進」などのCMキャッチコピーを使った。エンジンは1.5L、1.8Lのほか、2Lエンジンを搭載するラシーンフォルザもラインアップ!

 Be-1で始まった、日産パイクカーシリーズ。続くPaoも好評で、1980年代後半の日産のブランド再建に一役買った(その後日産は再度ボロボロになり、ルノー傘下に入りましたが)。

 そのパイクカーの精神的な後継モデルとしてカタログ販売されたのが、このラシーンだ。ちなみにラシーンとは「羅針盤」を意味しております。

 ベースはサニー。そこにビスカスカップリングによるフルタイム4WDを組み込み、全車4WDだった。と言っても本格的クロカンにはほど遠く、走りはまぁ凡庸だったが、思えばこのラシーンこそ、今を時めくクロスオーバーSUVの走り! 飽きの来ないボクシーなスタイルは、現在のジムニーの大ヒットの先駆けと言えないこともない。今出せば売れるかもしれない!

 実際、ラシーンのデザインは大好評で、中身なんかどうでもいいからあれが欲しい! というファンが多数生まれた。その人気は現在でも健在で、いまだにラシーン専門の中古車店が存在するほどだ。

 これほど人気のあったラシーンが、なぜ一代限りで消滅することになったのか?

 思えばラシーンが生産中止になった2000年は、日産がどん底にあえいでいた時期。カルト的人気はあるがあって合計7万3000あまり販売されたものの。会社の不調のあおりを受け、整理されたということだろう。無念じゃのう。

■CMキャッチコピーは「恋愛仕様」

ホンダS-MX(1996年11月誕生、2002年8月没)

ステップワゴンがベース。車高を15mm下げたローダウン仕様の「S-MX LOWDOWN」がラインナップされ、排気音も低周波を効かせたチューニングとするなど、アフターマーケットでのカスタム手法を採り入れた

 1994年に発売されたオデッセイの大ヒットは、苦境に陥っていたホンダの国内販売を救ったが、ホンダはオデッセイに続く「クリエイティブムーバー」シリーズとして、1996年にステップワゴンを発売し、これまた大ヒット。

 そのステップワゴンの全長を切り詰めて若者向けに仕立て直したのが、S-MXだった。

 当時、バブルはとうに崩壊していたが、バブル期のカップル文化はまだ余韻を残していて、クルマはデートのための道具という側面はデカかった。ただ、バブル期はスポーツカーでデートがカッコ良かったのが、1990年代中盤からはRVに変わりつつあった。S-MXはその需要を見事に突き、そこそこのヒットとなったです。

 が、このクルマは、販売台数よりも、1990年代中盤の若者のクルマへの欲求を見事に体現していた点で、一発当てたというべきだ。

 見た目は若々しくボクシーで、ローダウン仕様が最初から用意されていた。後席ドア(普通のヒンジタイプ)は左側だけで、右側から見ると2ドアに見る。これらは、バブル期の「所帯じみたクルマはカッコ悪い!」という価値観を微妙に継承(?)していた。

フロントシートのヘッドレストを外して、シートバックを倒し、リアシートのシートバックも倒せば2146mm×1180mmの超ロングなセミダブルベッドなみの広さが出現。 ベンチシートやシート内収納式のシートベルトバックルの採用によって凹凸感のない完全フルフラット化を実現。フルフラットにしてちょうど枕元にあたる位置の横にはティッシュボックスとドリンクホルダーが設置されている。今車中泊もできるN-VANが注目を集めているがS-MXなら今ならまた売れそう

 全長4m弱の寸法のなかで、室内は十分広く、カップルが狭苦しい思いをせずにイチャつくことができる。前後シートはフルフラット化も可能。フルフラットにすると枕元になる位置にはティッシュボックスやドリンクホルダーを置くスペースがありました。CMキャッチコピーが「恋愛仕様」で、走るラブホとも呼ばれていたのです。

 そんなS-MXが一代限りで消滅したのは、カーセックスに励むような貪欲な若者文化の消滅と軌を一にしている。「カーセックスのためのクルマ」という脂ぎったイメージが、S-MXを消滅に追い込んだといってもいいでしょう。

 結局、月2000台平均で、16万台あまり売れヒット車となったが、1990年代後半からのどん底の経済氷河期は、若者からクルマを買うお金や意欲を奪い、カーセックスどころではなくしてしまったのだ。涙ポロポロ。

 今、車中泊が注目され、N-VANがヒットしているなか、このS-MXが現代に復活すれば売れそうな気がもしますが……。

■渾身のFRスポーツセダン!

トヨタアルテッツァ(1998年10月誕生、2005年7月没)

全長4400×幅1720×全高1410mmという4ドアセダンとしてはコンパクトなサイズに、贅沢な四輪ダブルウィッシュボーンを組み合わせて前後重量配分は50対50のFR。車重は1310〜1360kg

 アルテッツァは確実に一発当てた。それは、コンパクトなFRスポーツセダンの復権という一発だった!

 1997年に消費税が3%から5%に上がり、ようやく多少戻っていた景気が完全に壊滅。しかしそれでも当時の日本には復活への希望があり、元気になれる商品への期待もあった。アルテッツァは、元気をなくしつつあったクルマ好きが、再び元気になれる”タマ”だったのだ!

アルテッツァの特徴のひとつでもあったのがこのロレックスクロノグラフのようなメーターだ。スピードメーター(マイナーチェンジ後のRS200の6速MTはタコメーター)の内側に水温計、油圧計(AS系は瞬間燃費計)、電圧計3つの計器を配したクロノグラフ形状のメーターを採用。今見ると新鮮!

 が、その期待は、徐々にしぼんでいった。発売当初は月販台数7000台を誇ったが、1年半経つと3分の1となり、月販目標台数2500台に遠く離れた1000台レベルにまで失速、2003年には月販600台にまで落ち込んだ。

 アルテッツァの走りは期待ほどではなかったし、メーカーも改良の意欲に乏しく、ほとんど放置プレイでした。

 アルテッツァの発表当時、私は「これは国民的スターになれる!」と思ったものです。石原裕次郎の再来みたいな。その期待は完全に裏切られました。

 アルテッツァは、ダラダラと2005年まで販売されたが、レクサスISにバトンタッチする形で、消滅するに至った。ISもパッとしませんけどなぁ。

 ただ志はよかったのではなかろうか……。時代が早すぎたのか!? 

■小ベンツ?! 小さな高級セダン

トヨタプログレ(1995年5月誕生、2007年8月没)

全長4500×全幅1700×全高1435〜1450mmという、コンパクトなFR高級サルーンだった

 プログレはアルテッツァとプラットフォームを共有する、小さな高級セダン。このクルマは、道の狭い鎌倉で資産家の足として重宝され、”鎌倉クラウン”との異名を取った点で、小さな山を当てました。

 当時は、5ナンバー車がどんどん消滅して、クルマが肥大化していくことを憂える声がけっこうありまして、特にクラウンユーザーの間にそれが大きかったのです。プログレは、そういう方々の期待に応える小さな高級セダンだったのですね。

 品質はクラウン以上、塗装は5層コート、全車本革シート。個人的には、このクルマがレーダークルーズコントロール初体験で、その闘争本能を奪うピースフルなドライブ感覚に感動したものです。

 が、10年間モデルチェンジも受けず、昭和ヒトケタ世代とともに、静かに消えたのでございます。そう言えば私の父親も、最後のクルマはプログレでした。

 これからは高齢化社会。今、このサイズの高級サルーンを出せば、売れるのはないかと思ったりもします。

■スポーツカー不毛の時代に生まれなければ……

トヨタMR-S(1999年10月誕生〜2007年9月没)

全長3895×全幅1695×全高1235mmというサイズで970kg~1020kg。車重はハードトップであることを考えても軽量。エンジンはNAの1.8L直4で最高出力140ps/17.4kgm

 MR-Sのことを思い出すと、涙が出ます。このクルマは、国産スポーツカー最後の復権への挑戦という側面があり、それが見事に失敗に終わったからです。

 1984年登場の初代MR2は、国産初のミドシップスポーツカーとして、ミドシップの大衆化を果たしましたが、2代目で堕落し、1999年に消滅。その後を受けたMR-Sは、軽量コンパクトなミドシップスポーツへの原点回帰を目指しつつ、AT限定でも乗れるシーケンシャルマニュアルトランスミッションも投入。より幅広い層に本格派スポーツを味わってもらいたい! という意欲が感じられたのでございます。

 チーフエンジニア氏は、自らフェラーリ348tbを購入して研究したと聞きました。当時私自身が348tbに乗っていたので驚愕したのですが、氏は「もう、こういうスポーツカーはいいだろう」という反面教師として研究したと仰られ、そのことに強い感銘を受けましてございます。

 が、現在フェラーリはますます肥大化し、かつ隆盛を極めているのと対照的に、MR-Sは8年でその生を終え、後継モデルも出ませんでした。是非もなし。

 スポーツカー市場が冷え込んでいた時代ということもあり、2006年は年間1000台程度(月販は2桁)となり、総生産台数は7万8000台あまりと振るいませんでした。

 86に続いてスープラが復活する今、MR-Sの不運を見るといてもたってもいられません……。

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