1980年代中盤から1990年代前半にかけてのバブル景気で日本中が浮かれていた時代、世の若者はデートカーなるクルマに憧れ、幸いにも手に入れることができた男たちは、モテまくった。
「あ~、あの頃はよかった。今思えば天国の時代だったなあ」と昔を懐かしみ、涙がちょちょ切れるオヤジ世代も多いのではないだろうか。
そこで、デートカーとはどのようなものだったのか? ちょうどデートカー全盛時代に学生で、親父さんのソアラを借りていい思いをしたという、モータージャーナリストの清水草一さんに当時を回想してもらいながら、デートカーは復活しないのか、語ってもらった。
文/清水草一
写真/ベストカーWEB
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甘酸っぱいデートカーとの思い出
デートカーという言葉は、今はもう「死語」になってしまったが、いまもあの当時が懐かしく思い出され、どうしても死語にしきれない中高年も少なくない。
かといって、そんな言葉をいま口にしたらケイベツされてしまうだろうから、あくまで思い出の1ページとして語るしかない単語であります。
デートカーとは、1980年代から1990年代初頭にかけ、日本に巻き起こったひとつのブームだ。
車種としては、2代目プレリュード、S13シルビア、そして初代、2代目ソアラがその代表。つまり当時のスペシャルティカーですね。
カッコはスポーティなクーペだけど、比較的フツーのエンジンを積み、ガチなスポーツカーではないお値段手頃なスペシャルティカーが、ドライブデートに最適なデートカーとしてもてはやされたのだ。
ただし、デートカーがデートに最適とはいっても、それはコスパが高いというニュアンスで、真剣に速いスポーツカーが買えればそっちのほうがもっとイイ、というのはありました。デートカーは時代の妥協点だったとも言えますね。
で、なぜそういうブームが生じたかを分析すると、時代の流れによって、たまたま男女の欲望のベクトルが合致し、巨大な波になったのだと言えましょう。
戦後日本は、バブル期まで著しい経済成長が続き、個人所得がどんどん伸びていった。こういう時代には、どんな社会でも「豊かになる競争」が起きる。その象徴のひとつがクルマであり、なかでもスポーツカーだった。
経済成長が続く時期は、速いクルマへの憧れが膨らむ。なぜならスピードは、原始時代以来の人類共通の夢。速い乗り物に乗った者は勝者だからだ。
食べたことのないおいしい食べ物みたいなもんですね。1980年代の日本では、スピードは特別な者しか手にできない「禁断の蜜の味」でした。
しかし、禁断の蜜は値段が高い。ホンモノの禁断の蜜は輸入車だが、それこそ目ン玉が飛び出るほど高かった。
ポルシェはもちろん、バブル期に六本木のカローラと呼ばれたBMW3シリーズ(E30)でも400万円前後した。初代ソアラは298万円で登場し、それが国産スペシャルティカーの最高峰だったが、それよりもはるかに高かった。
1980年代、私は20代の若者でしたが、当時、輸入車が欲しいなんて考えはコレッポッチもなかったです。輸入車は雲の上。「六本木のカローラ」という言葉は、雲の上のクルマが六本木ではフツーだよケッ、というヒガミから生まれたのです。小ベンツといわれた190シリーズもありましたね。
当時の青少年の欲望の対象は、ひたすら国産スポーツカー。ただ、ホンモノのスポーツカーは高くて買えないので、妥協点としてスペシャルティカーに走ったのだ。
では、私が社会人になった1984年時点での、デートカーのランキング(独断)を発表させていただきます!
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