1971年 フロンテクーペ/軽初の2シータークーペ
このフロンテSS以上に記憶に残っている名車が、1971年9月にベールを脱いだ「フロンテクーペ」である。2代目となるフロンテ71のメカニズムを用い、これに流麗なクーペボディを被せた。
今も語り伝えられている美しいボディは、鬼才ジウジアーロが基本デザインを手がけ、これをスズキのデザイナーがブラッシュアップしたものだ。全高は1200㎜と驚異的に低く、フェンダーやボンネットは軽量なFRP素材である。
6連メーターやチルトステアリング、低いポジションにセットされたヘッドレスト一体のバケットシートなど、インテリアもスポーティムード満点だ。
エンジンはLC10W型と名付けられた水冷356ccの2サイクル3気筒で、GXは3連キャブレターにより37ps/4.2kgmを絞り出す。
リッター当たり出力は100psを超えている。デビュー時は2シーターモデルだけの設定で、時代に先駆けてラジアルタイヤ装着車も用意されていた。
発売半年後の1972年3月には2+2モデルが投入された。エマージェンシー用のリアシートだったが、発売されるや人気が集中し、2シーターモデルは生産が打ち切られた。
1979年 初代アルト/「あるといいな」で47万円で登場!
が、1970年代になると軽自動車の販売は下降線をたどり、これにオイルショックと排ガス規制が追い打ちをかけている。スズキも例外ではなく排ガス対策に奔走した。
1975年秋に軽自動車は排気量を550ccに拡大したが、販売は上向きにならない。この危機を救ったのが、軽ボンネットバンの「アルト」だ。
フロンテは1979年5月にFF方式に生まれ変わった。その商用車版として開発され、誕生したのが3ドアハッチバックのアルトだ。
ベーシックに徹した潔いコンセプトで、合理性を徹底追及している。開発の指揮を執ったのはのちに社長、そして会長になる鈴木修氏だ。
彼はコスト低減を徹底して50万円以下の低価格で販売できる新しい軽自動車を開発してほしい、と命じ、物品税がかからず、保険料も安い4ナンバーの軽商用車に目をつけた。
エンジンは539ccの2サイクル3気筒だけと割り切り、グレード構成も1モデルだけに絞り込んでいる。
世間をアッと言わせたのが常識破りの全国統一価格を採用したことだ。しかも47万円の低価格は衝撃だった。社名も鈴木修氏の鶴の一声「こんなクルマがあるといいな」から付けられたという。
当然、空前のヒット作となり、ボンバンブームの火付け役となっている。1981年1月には4サイクルエンジンを投入。快適性を大きく向上させた。フロンテの販売を打ち切らせるほど売れに売れた稀代の名車、それが初代アルトだ。
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