今年60周年を迎えた日産スカイライン。その生みの親でもある櫻井眞一郎氏に、徳大寺有恒氏がインタビューをしている。
1980年3月号の「ベストカーガイド」の「エポックメイキングCAR物語 スカイライン2000GT 20年の技術の系譜とマル秘物語」に描かれた徳さんの熱いメッセージの数々。
伝説の開発者と、伝説のジャーナリスト。二人が織りなす対談の様子を味わっていただきたい。
文:徳大寺有恒/写真:ベストカー
「ベストカーガイド」1980年3月号
■GC10で本物の”GT”を求めた櫻井眞一郎
昭和42年、プリンスは日産と合併しプリンスの名称は消えてゆく。そして、スカイラインは昭和43年フルモデルチェンジを受け、少し遅れてスカイライン2000GTもGC10型に変わる。
S54Bはしゃにむにレースに勝つべく用意された、やや野蛮なクルマであったが、第2世代のGC10は櫻井氏の理想である”GT”に近い存在だったといえる。
フロントにストラット式サスペンションを配し、後輪はセミトレーリングアームによる独立式であった。このBMWによく似たレイアウトの”足”は以後、改良を加えられながら今日に至っているが、スカGのひとつのトレードマークになっている。
S54Bで高性能という印象をあまねく行き渡らせ、このGC10で都会的なGTカーとしての印象をマーケットに植え付けたスカGはこれ以後、販売は好調、しかも名車という定冠詞までいただくことになるのだ。
昭和44年に”R”が登場する。この”R”でスカGは再びレースウェイに戻ってくる。ストレート6、ダブルオーバーヘッドカムシャフト、1気筒に4つ、合計24個のヴァルブ、3つのミクニソレックスキャブなど、純粋にレーシングエンジンを持つマシーンである。
昭和44年8月GC10は改良を受ける。さらに翌年ハードトップを加え、オートマチックトランスミッションをシリーズに加えてバリエーションの充実をはかった。”R”はハードトップに移行され、いっそう華々しさを加えた。ハードトップのKPGC10は国産でオーバーフェンダーを初めて装着したクルマでもあった。
私個人の意見ではS54Bによって生まれたスカGパワーはこのGC10で完成されたと思う。次のGC110型やGC210型はこのGC10の思想や技術とかけ離れたものではなく、言い換えれば、大きな進歩はなく、きわめて商業主義的なクルマとなっている。
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