人生は難しい。どんなに才能に満ち溢れた人物であっても、ほんのちょっとズレてしまったタイミングや環境のせいで、本来得られたはずの栄光が手元をするりと抜けていく。そんな悲劇が起こりうる。
でもこれ、クルマにも同じことが言える。性能は悪くないのに、すでに評価を得ているクルマがいるとそれだけで「日陰者」になってしまうことがよくある。
そんな名車の「影」となった悲運のクルマたちに今、光を当てる。涙なくして読めないゼ!?
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※本稿は2020年12月のものです
車両解説/片岡英明
初出:『ベストカー』 2021年1月10日号
■三菱 FTO(1994~2000年)
三菱が1994年秋に送り出した個性派のスポーツクーペがFTO。
エンジンは1.8Lの直4もあったが、主役は2LのV型6気筒DOHC。最上級グレードは可変バルブタイミングリフト機構のMIVECを搭載、200psを発生していた。
日本初のスポーツモード付き4速ATも採用し、日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝くなど奮闘した。
が、翌年ホンダはインテグラに似た性格のエンジンを積むタイプRを加え、FF最速の称号をFTOから奪ってしまう。
クセの強いデザインも災いし、やや盛り上がらないまま消滅した。
●その当時輝いていたライバル車/ホンダ 初代インテグラタイプR
●編集部からのコメント…当時クセの強いとされたデザインも、今見るとカッコよし。希少な5速MTに乗りたいね。
■日産 2代目ムラーノ(2008~2015年)
ムラーノは北米向けに開発されたクロスオーバーSUV。
初代モデルは個性的なスタイルが話題となり、クリーンヒットを飛ばした。世界80カ国で発売され、大ヒットした初代ハリアーのライバルとして一気に注目を集めたのである。
その2代目は世界を狙って質感を高めた。が、対する2代目ハリアーはハイブリッド車が好評を博し、ムラーノを突き放す。
結果、わずか2代だけで日本から姿を消していったのだ。
●その当時輝いていたライバル車/トヨタ 2代目ハリアー
●編集部からのコメント…デザインは確実にムラーノのほうが頑張ってたが、ハリアーHVはパワフルだったね。
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