クルマに限らず商品というのは価格と発売するタイミングが重要。どんなに素晴らしいモノでも、市場に投入する時期を誤ると大失敗する。
よくあるケースその1は、コストとのバランス。新しい技術を開発して優れたクルマはできたのだが、新技術のコストがまだ高い。これをそのまんま価格に転嫁すると、ユーザーは飛びついてくれない。
そこをぐっと堪えたのが、初代プリウスや初代リーフだ。イノベイティブな商品ほど早く市場に出したいが、初期赤字を我慢してアーリーアダプター層を掴まないと、スタートダッシュでコケやすい。革命を成功させるには、メーカーの財務体力も重要なのだ。
よくあるケースその2は、ユーザーやマーケットの環境が十分に熟していない場合。これは、その商品が出た瞬間に、ユーザー側が「あっ、こういうクルマが欲しかったんだ!」と気づいて大ヒットする場合もあるのだが、そのタイミングの見極めが難しい。
ワゴンRやタント、オデッセイ(いずれも初代)のように、ピタッとハマって大ヒットしたクルマもあるけれど、似たようなコンセプトで開発されたものの、人知れず消えていった失敗作も少なくない。
そういう「世に出るのが早すぎたクルマ」について考察してみよう。
文:鈴木直也/写真:NISSAN、ISUZU、HONDA、SUBARU、SUZUKI、MITSUBISHI
日産プレーリー(初代)
技術的トピックス:両側ピラーレス
販売期間:1982~1988年
1982年登場の初代プレーリーは、簡単に解説すればCセグFFハッチバックをベースとした3列8人乗りの乗用ミニバン。現代ならごくごく当たり前の商品企画だ。
しかし、この初代プレーリーが発売された1982年というのは、まだエステートワゴンですら「商用車っぽい」と敬遠されていたし、多人数乗車といえば「キャブオーバーの1BOXでしょ?」と思われていた時代。日本のマーケットにはFFベースの乗用ミニバンなんていう概念は1ミリも存在しなかったのだ。
その商品企画コンセプトの斬新さだけでも凄いのに、初代プレーリーは左右ともセンターピラーレスのスライドドアを採用している!
この頃はまだ衝突安全性能なんか考えなくていいのどかな時代だったからできたのだが、2003年の初代ラウムに先駆けること20年で、しかも両側ピラーレスですよ! ホント、早すぎるなんて表現じゃ不十分なくらい先進的だったわけです。
いすゞアスカ(初代)
技術的トピックス:NAVI5
販売期間:1983~1990年
マニュアルミッションをコンピュータが自動制御するタイプのオートマは、オートメイテッドMT(AMT)とかロボタイズMTとかシングルクラッチAMTなどと呼ばれていて量産乗用車用として世界で初めて市販化したのは、1984年のいすゞ・アスカNAVI 5だ。
大型トラックでは巨大なトルクを伝達するトルコンAT開発が困難。そのため、いすゞではMTをロボット化する基礎研究が進んでいて、それを乗用車に応用したのがNAVI 5だったといわれている。
AMTの原理はシンプルでクラッチとシフトを動かすアクチュエータと、それを制御するコンピュータプログラムさえあれば実現可能なのだが、問題はコンピュータだ。
1984年といえば初代Macintoshが発売された年で、日本で周辺機器を含めてひと揃い購入したら、軽く100万円オーバー。つまり、CPUもメモリも今の感覚では信じられないほど高価だったのだ。
だからNAVI 5を制御していたCPUは8ビットで、メモリーはわずか8キロバイト。そんな制約の中で世界初の量産AMTを発売したいすゞ技術者の苦労は大変なものだったと思う。
しかし、NAVI 5の悲劇は、登場が早すぎたと同時にほかのATの進歩も予想以上に急速だったことだ。
NAVI 5登場時に4速どまりだったトルコンATは、アッという間に多段化してNAVI 5を追い越し、CVTやDCTのような新しいタイプのATも登場。量産効果でコストもどんどん下がってくる。
そうなると、駆動系のメカニズムはほぼMTのままで、アクチュエータだけを追加すればAT化が可能というAMTのメリットは希薄化。
そのいっぽうで、AMTはシフトアップ時のトルク抜けが不可避で、変速フィールにスムーズさを欠くのというウィークポイントが気になってくる。
ひと昔前はBMW M3にすらこのタイプのAMT(SMG)の設定があったが、DCTの登場やステップATの進化によって、その市場は狭まりつつある。
スズキのAGSやフィアットのデュアロジックあたりがいい例だが、今後はほぼコンパクト/低価格ゾーン用ATとなりそうだ。
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