いすゞはトラックやバスを生産・販売するメーカーとして知られているが、2002年9月まで乗用車を生産・販売していた。
乗用車部門から完全撤退したいすゞだが、ベレット、117クーペ、ピアッツァ、FFジェミニ、ビークロス……と自社生産したクルマたちを見ていくと独創的なデザインの名車が多い。
なかでも1981年6月に誕生したいすゞピアッツァは、G・ジウジアーロによるデザインで、約40年経った今でも色褪せていない名車だ。
最近では中古車市場でもめっきり数が少なくなってきて、絶滅が心配されている車種のひとつでもある。
そこで、本企画ではいすゞピアッツァは今、いくらで買えるのか? 購入する際のチェックポイントやパーツはまだあるのかなど、いすゞ車専門店に取材し、徹底レポート!
文/伊達軍曹
写真/いすゞ ベストカー編集部
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G・ジウジアーロデザインによる稀代のスペシャルティクーペ
まずはいすゞピアッツァはどんなクルマなのか、概要を解説していこう。ピアッツァは 117クーペの後継として1981年6月に登場したクーペタイプの小型乗用車で、デザインを担当したのは、117クーペと同じくジョルジェット・ジウジアーロ。言わずと知れた工業デザイン界の巨匠である。
いすゞからの依頼を受けたジウジアーロは1979年のジュネーブショーに「アッソ・デ・フィオーリ(Asso di fiori=イタリア語でクラブのエース)」と名付けたコンセプトカーを出展。
そのアッソ・デ・フィオーリの斬新なフォルムおよびディテールを「ほぼそのまま」とも言える形で量産車化したのが、1981年6月登場の初代ピアッツァだった。
当時の国産車といえばパキッとエッジが立ったデザインが主流だったが、ピアッツァは曲面を多用した優雅かつ斬新なデザインを採用。
またフラッシュサーフェス処理も先進的で、ウインドウまわりを中心に、ボディ表面の凸凹は極力排除されていた。
内装に関してもジウジアーロのデザインが忠実に再現され、上級グレードのXEには「デジタルメーター」を標準装備。
またそれ以外のグレードにも、メーターナセルの両脇に操作系を集中させた「サテライトスイッチ」を設置。
右手側にライトスイッチなど11項目、左手側にワイパーなど13項目の操作スイッチを集中させることで、ステアリングから手を離すことなく大抵の操作ができる作りになっていた。
駆動方式はいわゆるFRで、当初の搭載エンジンは直4のG200型。上級グレードのXEにはジェミニZZ用1.8L、直4DOHCを1.9Lに拡大したDOHCが搭載され、それ以外のグレードには117クーペ用2L、直4SOHCを改良したユニットが搭載された。
1984年6月には最高出力180psの2L、直4SOHCターボを追加している。トランスミッションは5MTまたは4速AT。
1983年5月には、それまで日本の法規上やむをえず採用していたフェンダーミラーがドアミラーに変更され、1984年6月には前述の2L SOHCターボが追加された。
続く1985年11月には、ドイツのチューナーであるイルムシャーに足回りのチューニングを依頼した、イルムシャーが登場。イルムシャーが手かげた、しなやかな足回りに加え、MOMO製ステアリングとレカロ製シート、専用デザインのフルホイールカバーなどが特徴だった。
1987年8月には一部改良でテールランプやアルミホイール、コンソールおよびステアリングのデザイン変更などを行なった。
1988年6月にはXEハンドリング・バイ・ロータス(handling by LOTUS)を追加。こちらはMOMO製ステアリングと英国のロータスがチューンしたサスペンションとBBS製2ピースアルミホイール、7項目調節機構付きのバケットシートなどを装備した。
1989年12月には最後のモデルとして、XEリミテッド・ハンドリング・バイ・ロータスを追加し、1991年8月に初代ピアッツァは販売を終了。
なお通常モデルのほかに、GM車の日本輸入元だったヤナセで販売された「ピアッツァ・ネロ(Piazza Nero)」も存在する。
ピアッツァ・ネロは内外装色にブラックも用意され、ピアッツァの特徴である異型2灯ヘッドライトは輸出仕様の4灯タイプになるなどの差別化が行われていた。
なお初代ピアッツァが販売終了となった後、1981年8月には2代目のピアッツァが日本国内でも発売されたが、2代目ピアッツァは初代とは似て非なるものゆえ割愛させていただいた。
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