名車だからといって好調な販売成績を残すとはかぎらないが、経営不振状態にあったメーカーを救済した“バカ売れ”の名車は存在する。今回は、そんな救世主的存在のクルマたちを振り返っていくことにしよう。
文/長谷川 敦、写真/スバル、ポルシェ、ホンダ、マツダ、CarWp.com
バブル崩壊から立ち直らせたふたつのモデル
●ホンダ オデッセイ
1980年代末期から1990年代の始めにかけて、日本国内は空前の好景気に恵まれた。
しかし、これはやがてバブル景気と呼ばれるほど実態のないものであり、1990年代初頭には簡単に弾けてしまい、日本は急激な不景気へと転落した。
当然ながら自動車メーカーもこの不況の影響をモロにくらい、特にホンダは深刻な経営難に陥ってしまった。
そんな状況で登場した1台のミニバンが、ホンダを危機的状況から救い出すことになるのである。
1994年に販売が開始された新型車のオデッセイは、アコードをベースにしたミニバンであり、他メーカーのミニバンに比べて車高が低く、当時の他社製ミニバンで浸透しつつあった後部のスライドドアも採用されていないという特徴があった。
こうした構成は、ホンダが他メーカーのようにミニバンのベースにできるRV(SUV)を持っていなかったからで、いわば苦肉の策だった。
しかし、オデッセイのロールーフミニバンコンセプトは市場に受け入れられて大ヒットモデルになり、ホンダはオデッセイで得た利益によって窮地から脱出できた。
●マツダ デミオ
マツダが1980年代に導入した経営戦略が販売チャンネルの拡大だった。
自社の販売力強化を狙い、マツダは「マツダ」「アンフィニ」「ユーノス」「オートザム」「オートラマ」の5チャンネルを展開した。
当初はうまくいくかに思われたこの多チャンネル戦略だったが、ブランドのイメージが分散してしまい、各チャンネルで顧客を奪い合うといったデメリットも見られた。そしてバブル景気崩壊が訪れる。
バブル崩壊はマツダに深刻なダメージを与え、一時期は米・フォードの傘下に入るなど、数年間は苦境状態が続いた。
しかし、1996年に発売されたコンパクトカーのデミオがマツダ復活のきっかけを作った。
初代デミオの特徴はとにかく実用性を重視したことにあり、コンパクトカーながら室内には十分な空間が与えられ、荷室容量も確保、さらにシンプルなルックスも評価され、好調なセールスを記録したのだ。
デミオのヒットはマツダを経営難から救い出し、デミオ自身もコンパクトカー市場のなかにあって確固たる地位を確立した。
現在のデミオはMAZDA 2にその名称を変更したが、質実剛健な構成は変わらず、手堅い人気を保っている。
【画像ギャラリー】ピンチを救った名車たちをもっと見る(19枚)画像ギャラリーお家芸で復活を実現した果報者
●スバル レガシィ
いち早く乗用車に4WD(4輪駆動)を採用し、それを得意技にしたのが富士重工(現スバル)だ。
富士重工が1971年に発売した4ドアモデルのレオーネは、公道をメインにする乗用車ながら、1972年発売のレオーネエステートバンに4WDモデルをラインナップして話題を呼んだ。
それまで4WDといえばオフロード専用と思われていたが、レオーネの登場によって、積雪路や雨でスリップしやすい路面はもちろん、通常の舗装路でも4WDにメリットがあることを世間に知らしめた。
しかし、そのスバルも初代レオーネ以降は人気車種を作り出せず、1980年には倒産の危機もウワサされるほどの経営状態になっていた。
だが、1989年に新設計モデルのレガシィがデビューすると状況は一変した。
レガシィにはレオーネで確立された4WD技術が導入され、スタイリッシュなボディデザインと相まって登場直後から注目を集めた。
さらに汎用性の高いステーションワゴンタイプも販売されたことにより、幅広いニーズに応えられた。
特にレガシィツーリングワゴンは1990年代のステーションワゴンブームをけん引する存在となっていった。
スバルのアイデンティティともいえる4WDと水平対向エンジンを組み合わせたパッケージは、このレガシィで確立されたともいえる。
レガシィのヒットによって富士重工は窮地を脱し、その後日本国内におけるレガシィは6代目が2020年まで製造販売された。
現在はレガシィの国内販売が終了しているものの、北米では7代目モデルが現役で走っている。
【画像ギャラリー】ピンチを救った名車たちをもっと見る(19枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方