世の中には「珍車」と呼ばれるクルマがある。名車と呼ばれてもおかしくない強烈な個性を持っていたものの、あまりにも個性がブッ飛びすぎていたがゆえに、「珍」に分類されることになったクルマだ。
そんなクルマたちを温故知新してみようじゃないか。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る尽くす当連載。第6回は、国内販売的には成功しなかったが、今もカーマニアには強い印象を残す珍車らしい珍車、日産 ラティオを取り上げる。
文/清水草一
写真/日産
■平凡のなかに見られた非平凡さ
かつて日産に、ラティオというクルマがあった。サニーの流れを汲む、最後の子孫である。
ラティオには、2004年登場のティーダラティオと、2012年登場のラティオの2種類があるが、今回取り上げるのは、ティーダの冠が取れたラティオのほうである。
「かつて」といっても、ラティオはそれほど昔のクルマではない。2016年まで販売されていたから、つい最近とも言える。が、その存在は限りなくレアで、販売終了からそれほど経っていないわりに、街で見かけることはほとんどない。それも、どこにも特別なところのない、ウルトラ平凡な小型セダンでありながら、ウルトラレアなのだ。レア=珍車。平凡だけどレアというのもなかなかレアだ。
ここまでラティオについて、「平凡平凡」と連呼したが、実はラティオは非凡なクルマだった。何が非凡かといえば、エクステリアデザインだ。あまりにもカッコ悪かったのである。もちろん、デザインの好き嫌いは人それぞれだが、私の美的センスに照らせば、それはスーパーウルトラカッコ悪いカタチをしていて、思わず「クルマのカッコよさって何だろう?」と、哲学的に考え込んでしまうほどだった。
具体的にどうカッコ悪かったかというと、まずは全体のフォルムだ。FFの割にフロントオーバーハングは短く、逆にリヤオーバーハングはそこそこ長くて、それだけでどこかバランスが狂って見える。それに輪をかけていたのが、早めに後方に向けてなだらかに下がり始めるルーフと、サイドウィンドウの切り欠きや、ウエストのエッジラインだ。それまた、頭が軽くてお尻が細長いような、どこかバランスがおかしい形に見せていた。
このあたりは非常に微妙で、言葉で表現するのが難しいが、ラティオは、「前が潰れてるわりにお尻が伸びていた」とでも言おうか? セダンがまとうべき威厳みたいなものとは最も遠い世界にありながら、カジュアルでファッショナブルな感覚もゼロの、猛烈に田舎っぽいフォルムに仕上がっていた。
フロントフェイスも同様だ。ヘッドライトはちょっと可愛らしい、大きなツリ目の猫目で、どこかゆるキャラ的な輪郭だ。グリルは平凡な逆台形だが、メッキ縁は不自然に太さを変えていて、これがまたどうにも微妙にセンスが悪い。目は妙にカワイイんだけど、口は不器用なおじさん風とでも申しましょうか。フォルム同様、セダンらしい威厳はゼロだが、カジュアルでファッショナブルな感覚もゼロだった。
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