世界各国の車が走る日本は、左側通行を採用する国のひとつ。一方、世界的には日本と“逆”の右側通行が主流だ。もし、日本が右側通行なら、国産メーカーにとっても主要輸出先の北米や欧州の主要国と同じ左ハンドル車を基本とできる等のメリットもあるはず。にも関わらず、なぜ日本は左側通行を選んだのか。
その理由としては「英国に倣ったから」、「武士が左側に差した刀の鞘が当たらないよう左側通行になった」など、さまざまな“俗説”が流布している。
それらの俗説は本当に正しいのだろうか。実は、英国に倣ったとする説は真っ赤な嘘で、左側通行採用のきっかけは意外な理由だった!
文:大音安弘
写真:Adobe Stock
左側通行の端緒は明治時代! その意外な経緯とは
日本が左側通行となった理由として、「英国に倣った」や「侍が持つ刀の影響」など諸説が挙げられているが、そもそも左側通行となった時期はいつなのか。多数の文献にあたるなかで、1冊の書籍と出会うことが出来た。岡 並木 氏が執筆した「舗装と下水道の文化」(論創社、1985年)である。
同書は道路と下水道の歴史に触れた著書で、世界のライフラインが如何に普及したのかを知ることができる。この本とその他の道路に関する資料の内容を要約すると、以下のような歴史がはっきりと見えてきた。
まず、初めて左側通行が明文化されたのは、1881年(明治14年)の警察庁通達で「車馬(シャバ)や人力車が行き合った場合には左に避けること」とあり、これが日本の左側通行の原点となった。
そして、1900年(明治33年)の警視庁令(道路取締規則)で、「人道車馬道の区別ある場合は人道の左側を、区別ない場合はその道の左側を通行すること」と歩行者を含めた左側通行が規定された。
また、「歩行者はみだりに車馬道を通行しない」ともあり、歩行者が車道の往来を妨げないようにされている。
この規定を定めたのは、警察署長なども務めた内務官僚である松井茂だ。
その理由は驚くべきもので、「特に根拠はなく、なんとなく左側通行が良いと考えた」からだという。ただ、その根底には、先に挙げた車馬などの左に避けるという通達を念頭に置いたことが予測される。つまり、英国に習ったわけではなかったのだ。
ただ、日本の鉄道の歴史は、明治政府が英国に協力を仰ぎ、実現された背景がある。
左側通行は刀が関係している説も実は「後付け」
では、「刀の影響」という説はどうなのだろうか。実は、この話には前出の松井氏が深く関係している。
当時の内務大臣だった西郷従道が、左側通行案に待ったをかけた。これ以前から軍隊は右側通行を実施しており、陸海軍創設の功労者でもあった西郷は、軍隊との統一を求めたのである。
その説得に駆り出された松井は、最後に、「別に理由はありませんが、これ(刀)ですよ」と、左の腰から刀を抜く真似をしてみせた。その動作を見て西郷は承知したという。
つまり「刀」説は、後付けの理由だったのである。
ただ、この時点では、東京限定の決まりであり、これが全国的に導入されたのは、1921年(大正10年)に施行された「道路取締令」から。その後、1949年(昭和24年)の道路交通取締法改正にて、「対面通行」が採用され、車馬は左、人は右となった。
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