2022年、40年にわたる歴史に終止符をうった日産マーチ。その晩年には日産ラインナップにおいて影が薄くなっていたが、初代は「マッチのマーチは……」の有名すぎるキャッチコピーで鮮烈なデビューを飾った人気車だった。
自動車ライターの永田恵一氏は、愛車であるトヨタ GRヤリスの代車として2代目日産マーチに乗る機会に恵まれた。じっくりと乗り回してみたところ、改めてその魅力にヤラれてしまったようで……?
文/永田恵一、写真/永田恵一、日産自動車
■マーチの歴史は終了してしまったが……
昨年(2022年)、日産のベーシックなコンパクトカーとなるマーチの日本向け仕様が、ちょうど40年でその歴史に幕を閉じた。
というタイミングで筆者はマイカーのGRヤリスの代車として、2代目マーチにまとまった時間、自分のモノのように乗る機会に恵まれた。
乗ったマーチは2代目マーチとしてほぼ最終年式かつ走行7万km台と良好なコンディションだったのに加え、ショップさんの代車ということもあり、サスペンションやシートなどがほどほどに素晴らしいセンスでカスタマイズされていた個体ということもあり、気に入ってしまった(笑)。
ここでは今さら実感した2代目マーチの素晴らしさを紹介しながら、改めて感じたマーチのようなコンパクトカーの必要性を主張していく。
■改めて……2代目日産 マーチってどんなクルマだった?
マーチは日産にとって意味合いこそモデルごとに違うが、歴代モデルが挑戦的なクルマだった。
ベーシックモデルからスタートし、ターボとスーパーチャージャーを持つという半ば強引なスポーツモデルまで追加した初代モデル誕生から10年後の1992年に2代目マーチは登場。
2代目マーチの大きな使命は日産が英国に持つサンダーランド工場で初代プリメーラとともに生産される国際戦略車ということだった。
それだけに2代目マーチは新設計となる1Lと1.3Lの4気筒エンジンを搭載し、プラットフォームも新設計に。また、スペースの確保などのため、全高は1430mmと当時の日本車としては高く、結果的に3720mmという全長のわりにキャビンが広かった点も高く評価された。
また、2代目マーチは5速MTと4速ATに加え、当時日産と資本提携があったスバルから供給されたCVTを設定していたことも話題になった(当時のCVTはクリープ現象がないなどの違和感をはじめ、未完成なのが否めないのも事実だったが)。
このように力が入ったクルマだったのもあり、2代目マーチは1992年の日本カーオブザイヤーに加え、日本車としては初なる欧州カーオブザイヤーを受賞。この点も2代目マーチの実力、完成度の高さを象徴するものといえるだろう。
初代マーチと同じく10年間生産された2代目マーチも、初代モデル同様に幾度もの改良に加え、オーテックジャパンが手がけた特別仕様車、オープンのカブリオや5ドアハッチバックのリアオーバーハングを延長したBOXを追加するなどしながら、バブル崩壊という時代背景もあって好調に売れ続けた。
コメント
コメントの使い方免許を取って最初のクルマがK11のカブリオレのマニュアル車です。かれこれ22年40万キロ(エンジン3基目)位になりますがメインカーの地位は揺るがないです。今は純正部品も供給が怪しくなりアフターパーツメーカーも大半が撤退していますがストックしてあるパーツで自分が生きてる間は維持とモデファイを続けていくつもりです。
ハッチバックでもリバイバル販売されたら良いのにと思います。
ヨーロッパでカー・オブ・ザ・イヤーとったり、イチローさんが数千万円かけてカスタマイズして乗っていた車なのですごい車だったと思います。