車の性能を表わすひとつの指標でもある「馬力」。バブル期をピークに各メーカーは、エンジンの最高出力向上を競い、登録車では1989年に280馬力を上限とする“自主規制”が生まれた。
しかし、この自主規制は2004年に消滅。今や車にとって大切なのは、走行安定性を含めた総合性能で、最高出力には大した意味がないことを多くのユーザーが認識しているだろう。
一方で軽自動車には1987年から続く64馬力を上限とする自主規制が存続している。もはやN-BOXなどを始めとした普通の軽自動車でも64馬力は一般的。仮に撤廃されてもパワー競争が繰り広げられることは考えづらい。
それにも関わらず、なぜ未だに自主規制が存続するのか? その裏には、軽自動車を守るための“事情”が絡んでいるという。自動車評論家の渡辺陽一郎氏が解説する。
文:渡辺陽一郎
写真:SUZUKI、編集部
そもそも280馬力“自主規制”はなぜ消滅?
1989年から2004年まで、日本の登録車では、最高出力を280馬力に抑える自主規制が行われていた。
きっかけは1989年に発売された4代目の日産 フェアレディZ(Z32型)であった。このV型6気筒3Lツインターボエンジンが、最高出力280馬力を発揮したことで、280馬力の自主規制が開始された。
背景には交通事故死者数の増加があった。日本の交通事故死者数は、1970年に1万6765人に達して過去最悪に。この後、歩道の整備や市街地の交通量を減らすバイパスの普及で減少したが、1989年には1万1000人に達した。
当時の運輸省(現国土交通省)は「これ以上の高性能車は危ない」と判断して、1989年に発売されたフェアレディZに合わせて、最高出力280馬力の自主規制が始まった。
フェアレディZの型式認定を行っている以上、280馬力以下の設定は困難だから、この数値に落ち着いた。最高出力と交通事故死者数の相関関係は明らかにされていないから、表向きの規制はできず、自主規制となった。
あくまでも自動車メーカーと業界の自主規制だから、明文化されたものはない。表向きの話として、当時の運輸省が最高出力を280馬力に規制していたとか、指導をしていた事実はない。
そこで自主規制の時代に、私は数回にわたり、複数メーカーの開発者に自主規制の実態を尋ねた。返答はおおむね以下のような内容だった。
「新型車の型式を申請する時、最高出力を280馬力以上に高めても、運輸省がその数値を問題視することはない」
「しかし、何らかの理由を付けて、型式認定を拒まれてしまう。そこで改めて280馬力に変更して申請すると、型式が認定される。最高出力が280馬力を超えているからダメとは言われないが、実質的に280馬力が障壁になっている」
その一方で輸入車については、最高出力が280馬力を超えるスポーツカーや高性能セダンが活発に販売されていた。業界団体も自主規制の撤廃を求め、「もう自主規制しなくてもパワー競争にはならないだろう」と判断されて2004年に解消した。
これを受けて4代目ホンダ レジェンドが最高出力を300馬力に設定して登場したが、さほど話題にならなかった。
つまり、最高出力の自主規制が必要だったのは、最高出力が急速に向上する馬力競争の時代であった。2000年代に入ると、動力性能は求められる上限に達してユーザーの関心も薄れたから、自主規制も終了した。
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