これからの雪のシーズンに、多くのドライバーがお世話になるスタッドレスタイヤ。なぜ「スタッドレス」という名前なのか、ご存知だろうか。雪や氷に対応するタイヤ=スタッドレスというイメージがあるが、この名前には、日本の社会問題を解決へ導いた素晴らしい歴史が刻まれている。スタッドレスタイヤの性能や導入の歴史を、いま改めて振り返っていきたい。
文:佐々木 亘/画像:Adobe Stock(メイン画像=K.Takahiro)
【画像ギャラリー】仙台砂漠がスタッドレスを広めた? 宮城でスタッドレスタイヤが神と言われる件(3枚)画像ギャラリースタッドレスに感謝? 砂漠を生み出したスパイクタイヤ
宮城県仙台市で育った筆者が、小さい頃から冬になると言い聞かされていた言葉がある。それは「スタッドレス(タイヤ)はありがたいもの。冬の仙台が良くなったのはコレのおかげ」というものだ。
冬になるとクルマのタイヤが変わるということは、幼少期から知っていたが、なぜこのタイヤに変わった時に「ありがたい」というのか疑問だった。だが、自分でクルマを持つようになり、スタッドレスタイヤを使い、その誕生を紐解いていくと、仙台の人がスタッドレスタイヤに感謝する意味を少しずつ理解し始めるようになる。
1970年代には広く使われていたスパイクタイヤが、1980年初頭に公害の原因になっていると問題視された。きっかけは宮城県の地方新聞に掲載された「なぜ仙台の街はほこりっぽいのか」という投書である。
1979年、仙台市は公害白書に、「降下ばいじんが冬季に増加している」と記した。この粉塵は「仙台砂漠」と揶揄され、冬の仙台市を覆い尽くすようになる。
冬の仙台市は、気温が下がり夜間凍結などが多いものの、積雪量はそれほど多くなく、舗装路面が露出していることが多い。この路面をスパイクタイヤで走行すると、アスファルトを削り取り、粉塵として巻き上げるのだ。
しかし、スパイクタイヤは冬季のスリップ事故件数を、その他のタイヤの半分にするというデータもあり、その必要性も同時に叫ばれた。即時スパイクタイヤ全廃とはならず、スパイクタイヤを無くすことはできないという論調も強まっていく。
【画像ギャラリー】仙台砂漠がスタッドレスを広めた? 宮城でスタッドレスタイヤが神と言われる件(3枚)画像ギャラリースタッドレスの急成長とスパイクタイヤの終焉
公害問題が提起され、スパイクタイヤの代わりを見つける努力が続いた。仙台だけでなく、全国的に粉塵問題が広がる最中、スタッドレスタイヤの性能試験や商品改良が進み、スパイクタイヤの代わりになる目途が立つことになる。
問題提起からおよそ5年後の1985年、宮城県が全国で初めてのスパイクタイヤ対策条例を制定した。これを皮切りに全国でスパイクタイヤ規制の条例が制定されることに。1990年には「スパイクタイヤ粉塵の発生の防止に関する法律」が発布され、スパイクタイヤの原則使用禁止が明記されることになる。
スタッドレスタイヤが当たり前になった現在、冬季の粉塵に悩まされることはない。「仙台砂漠」は「杜の都仙台」へと生まれ変わっている。
【画像ギャラリー】仙台砂漠がスタッドレスを広めた? 宮城でスタッドレスタイヤが神と言われる件(3枚)画像ギャラリースタッドレスタイヤの歴史は浅い! だからこそ圧倒的な改良が現在も続けられている
スタッドレスタイヤが日本国内で販売されるようになったのは、1982年のこと。販売の歴史は、まだ40年を少し超えた程度だ。自動車の歴史から見ると、非常に短いことがわかる。
スタッドレスタイヤは、スパイクタイヤから鋲を取り除いたタイヤだから「スタッド(鋲)レス(取り除く)」という。滑り止めの鋲を無くしても、特殊なゴムとトレッドパターンで、雪や氷でも滑りにくいタイヤになっているのだ。
この技術進化に、まだ終わりは見えてこない。新製品が出るたびに、その性能の向上幅には驚かされるばかりだ。
当たり前に氷や雪でも走行することができるスタッドレスタイヤが、同時に日本全国の冬をクリーンな環境に変えていることを知っていてほしい。素晴らしい技術によって暮らしが支えられているということを、スタッドレスタイヤの装着で思い返してみるのもいいと思う。
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