トヨタの主力コンパクトカーであり、世界戦略車でもある新型ヤリスが2月10日に販売を開始した。新型ヤリスは、コンセプトとして原点回帰を強調している。
となると気になるのは、新型トヨタヤリスは『初代』ヴィッツを超えたのか、という点だ。
しかし考えてみれば初代ヴィッツの発売は1999年、新型ヤリスは2020年2月(発表は2019年12月)だから、20年の歳月を飛び超えた新旧モデルを比べるのは無理がある。
クルマの進化は日進月歩だから、走行性能や安全装備などの機能は、新型ヤリスが優れていて当然だ。だから、比べるのは存在感、各時代のライバル車との優劣関係、ほかのクルマに与えた影響などだ。
新型トヨタヤリスは初代ヴィッツを超えたのか、というテーマで渡辺陽一郎氏が考察する。
文:渡辺陽一郎/写真:TOYOTA、平野学
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初代は世界戦略車ゆえの高クォリティで市場を席巻


初代ヴィッツは、スターレットに代わるトヨタの新しいコンパクトカーとして、前述のとおり1999年に登場した。コンパクトカーの新しい指標とすべく、エンジン、プラットフォーム、サスペンションなどをすべて新開発している。
発売時点で搭載したエンジンは、直列4気筒1Lのみだから動力性能はおとなしかったが、走行安定性と乗り心地は従来型のスターレットに比べると大幅に進化させた。
フェンダーを張り出させた丸みのある外観も洗練され、従来型のスターレットに比べると、質感も大幅に高めた。

インパネの周辺にも丸みを付け、フランス車のような情緒を漂わせている。
居住性については、スターレットに比べてホイールベース(前輪と後輪の間隔)を70mm拡大した効果もあり、後席の足元空間を拡大させた。初代ヴィッツはトヨタの世界戦略車に位置付けられ、欧州などでも売られたから、商品力を大幅に向上させていた。

ライバルの台頭により初代も安泰ではなくなった
そして初代ヴィッツが発売された1999年におけるライバル車は、日産2代目マーチ、ホンダ初代ロゴ、マツダ初代デミオ、ダイハツ初代ストーリアなどであった。
これらのコンパクトカーに比べると、初代ヴィッツはデザインが新鮮で運転感覚も優れている。そのために初代ヴィッツは、1999年と2000年には1カ月平均で1万3000台以上を登録した。コンパクトカーでは1位の売れ行きであった。

ところがこの後、ライバル車の追い上げが激しくなる。2001年に発売されたホンダ初代フィットはヒット商品になり、2002年には1カ月平均で2万台以上を登録した。初代フィットは軽自動車まで含めて、国内販売の1位になっている。
マーチも3代目(先代型)にフルモデルチェンジされ、2002年には1カ月平均で1万1611台を登録した。この影響もあり、ヴィッツの2002年の登録台数は、1カ月平均で8400台に下がった。

重要な国内マーケットの中核をなした2代目
そこで2005年に発売された2代目ヴィッツは開発に力を注ぎ、初代モデルの路線を踏襲しながら、内外装の造り、走行安定性、乗り心地をさらに向上させている。
ちなみにトヨタの世界販売台数に占める国内比率は、2019年はOEM軽自動車を含めて17%だが、2000年代の前半は約30%を占めていた。国内市場は今よりも重要だったから、当時のトヨタは、各カテゴリーで販売ナンバーワンを取ることにこだわった。

例えばホンダがストリームで注目されるとライバル車のウィッシュを発売して、日産エルグランドが好調に売れると、グランビアなどをアルファードに統合して商品力を大幅に高めた。
いずれも販売合戦で勝利しており、ヴィッツもフィットやマーチに負けるわけにいかなかった。

2代目ヴィッツは初代の路線を踏襲しながら機能を幅広く向上させたから、2005年には1カ月平均で1万1000台を登録している。フィットの1万500台を抑えて、コンパクトカーの1位になった。
このように初代と2代目のヴィッツは、販売面で多少の浮沈はあっても商品力が高く、好調に売れた。
3代目でコンパクトカーの覇権争いから脱落

ところが2010年に発売された3代目で問題が生じた。2代目に比べて内装の質と乗り心地が悪化して、商品力を下げたからだ。
ネッツトヨタ店のセールスマンが、「これでは2代目ヴィッツを使うお客様に、新型への乗り替えを提案できない」と頭を抱えるほどであった。
3代目ヴィッツは、フィットに対抗するため、後席の足元空間と荷室の奥行を拡大した。それでもフィットを超えられず、乗り心地を含めた質の低下と相まって売れ行きを低迷させた。

この背景には、2008年に発生したリーマンショックに基づく開発費用の削減もあった。
しかもトヨタアクアが2011年に投入され、3代目ヴィッツの売れ行きはいっそう低迷した。
新型ヤリスは原点回帰

新型ヤリスの開発者は、「初代と2代目のヴィッツは、輸入車を含めて他車からの乗り替えも多かった。しかし3代目は従来型ヴィッツからの乗り替えが中心になり、新規のお客様を獲得できず、次第に売れ行きを下げた」と振り返る。
この3代目ヴィッツの商品開発を補正して、初代と2代目の路線に戻したのが、4代目の新型ヤリスだ。車名をヤリスに変更した背景には、3代目と決別してイメージを刷新させる意図もあるだろう。
言い換えれば原点回帰だから、新型ヤリスのイメージは初代ヴィッツに近い。外観には引き締まり感が伴い、インパネなどの内装は上質で、走行安定性と乗り心地のバランスもコンパクトカーの中では優れた部類に入る。

その代わり3代目で広げた後席と荷室の広さも、初代と2代目に近付いた。前後席に座る乗員同士の間隔は、3代目の先代型に比べると37mm縮まり、後席は床と座面の間隔も32mm減ったから、後席は腰の落ち込む少し窮屈な座り方になる。
荷室ではリアゲートを寝かせたから、背の高い荷物を積みにくい。つまり後席と荷室の実用性を割り切り、運転席の周辺と走りの水準を高めることで、ヤリスはドライバー本位の魅力を強めた。
初代と2代目のヴィッツ、4代目となるヤリスを並べると、ドライバー本位の性格も継承されて進化がわかりやすい。

初代ヴィッツはコンパクトカー界の革命児
そこで「新型ヤリスは初代ヴィッツを超えたのか」の結論だが、インパクトやほかのコンパクトカーに与えた影響という点で、ヤリスは初代ヴィッツを超えていない。
初代ヴィッツが発売された時には、フィットはまだ登場しておらず、コンパクトカーは「エントリーカー/入門車」などと呼ばれていた。
一番安いカテゴリーでヒエラルキーも低く、スターレットには独特の楽しさはあったものの、ハッキリと目に見える部分をカローラよりも安く造っていた。

このようなコンパクトカーの概念を刷新したのが初代ヴィッツだった。当時の国産コンパクトカーでは、身長180cm以上のドライバーは正確な運転姿勢を取りにくかったが、初代ヴィッツなら最適な姿勢で座れた。
また当時の国産コンパクトカーは、フォルクスワーゲンポロ、オペルヴィータ、プジョー106などの欧州車に比べて、高速道路を中心とした直進安定性に不安を感じあたが、初代ヴィッツはこの欠点も払拭させた。
世界に打って出るための高品質という点では、カテゴリーはまったく違うが、初代セルシオに似た印象も受けた。
初代モデルが偉大だからこその苦悩
ヴィッツ&ヤリスに限らず、初代を超えられないクルマは多い。
コンパクトカーなら前述のフィット、軽自動車ではワゴンR、ミニバンならオデッセイやステップワゴン、スポーツカーのロードスターなどは、いずれも初代のコンセプトとクルマ造りが新鮮で説得力も強く、その後に紆余曲折を経て今に至る。

その代表はフォルクスワーゲンゴルフで、初代を超えるほどインパクトのあるゴルフは登場していない。
そして初代が偉大だったモデルは、その記憶が長く残るから、原点回帰を目指すこともある。現行型のフィットやロードスターでは、開発者から「原点回帰」の言葉が聞かれた。
ヤリスも新型になって原点回帰したから、初代ヴィッツを超える新たな展開を見せるのは、次期型以降になるだろう。
あるいはヤリスと共通のプラットフォームを使う新型車の可能性も高い。数年後には、かつてのファンカーゴのような派生的なニューモデルが、新型ヤリスをベースに投入される。そこに初代ヴィッツで受けたようなインパクトと感動があるのかも知れない。

