スカイラインといえば、現在の50代以上の人にとっては特別なクルマだった。裏を返せば、それよりも下の世代にとっては数ある日本車の1台に過ぎないとも言える。
なぜこのような事態になってしまったのか。同じ歴史の古いクラウンが今でも愛され続けているのとは対照的だ。
初代の誕生が1957年だから、2020年で60年以上の歴史を誇るクルマは日本車でもそれほど多くない。
そのスカイラインは苦境が続いていたものの、2019年のビッグマイチェンで復活の兆しを見せているのはうれしい限り。とは言え、全盛時の数%程度の販売台数となっている。
かつては日本人が最も愛したクルマのスカイラインはなぜ売れなくなったのだろうか?
スカイラインには一家言持つ片岡英明氏が考察する。
文:片岡英明/写真:NISSAN、ベストカー編集部
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スカイラインは63年の歴史を誇る
SKYLINEは、トヨタのクラウンとともに日本人に永く愛されているプレミアム高性能セダンである。誕生したのはプリンス自動車が富士精密工業を名乗っていた1957年(昭和32年)の4月だ。
航空機メーカーを母体としているため、技術力は高く、初代スカイラインもクラウンを打ち負かす高性能エンジンを積んでいた。
日本で最初にド・ディオンアクスル式リアサスペンションや2スピード式ワイパー、デュアルヘッドライトなどを採用したのが初代スカイラインだ。いち早く高級スポーツクーペとコンバーチブルの市場にも着目した。
スポーツセダンとして認知されるのは2代目からである。小型ファミリーカーに生まれ変わったが、1964年春にボンネットを延ばし、グロリアのG7型2L、直列6気筒OHCエンジンを押し込んだスカイラインGTを限定発売。
第2回日本グランプリでポルシェ904GTSとレース史に残るバトルを繰り広げた。このレースでスカイライン神話が生まれ、量産型のスカイライン2000GT(後のGT-B)も登場する。
6代目で見せた大きな変革
そして日産と合併した後に誕生した3代目は「愛のスカイライン」、「ハコスカ」と呼ばれ、レーシングカー直系のDOHC4バルブエンジンを積む超ド級の高性能セダン、2000GT-Rはレースで連戦連勝を飾った。
2ドアハードトップを加えたスカイラインはスポーツモデルの代名詞になり、4代目の「ケンとメリー」は大ヒット。
5代目の「ジャパン」ではターボ搭載車を投入して新境地を切り開いている。6代目ではロングノーズを封印し、伝統のサーフィンラインも廃した。
が、直列4気筒DOHC4バルブエンジンの2000RSを加え、これはRSターボへと発展する。鉄仮面グリルも話題となった。7代目では直列6気筒エンジンを一新し、画期的な4輪操舵のHICASも採用している。
そして今もファンから崇められているのが8代目のR32スカイラインだ。4輪マルチリンクのサスペンションを採用し、意のままの気持ちいい走りを実現した。
また、新世代のGT-Rも登場し、新たなサーキット神話を生んでいる。駆動方式はFRではなく、革新的な電子制御トルクスプリット4WDだ。
9代目からは時代に合わせてワイドボディを採用した。10代目までは伝統の直列6気筒エンジンを積み、イメージリーダーはGT-Rである。
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