2020年9月16日、日産グローバル本社のお膝元、神奈川県横浜市のNISSANパビリオンで7代目となる、新型フェアレディZの”プロトタイプ”が公開された。
これは日本の我々にとって、とても大きな意味を持っていると感じた。
ちょっと前の日産だったら、この新型Zのワールドプレミアはメインマーケットの米国で行っていたであろう。歴代Zが最も売れているのは米国だし、Zが米国で高い人気を持っていることは紛れもない事実だし、それ自体は喜ばしいことだ。
しかし、日産は今回のワールドプレミアをあえて日本国内で実施した。
これは国内のZファンのみならず、クルマ好きに対する日産のメッセージだと受け取った。新しいフェアレディZは日本の皆さんに対して開発しているのだ、と。
現行型、Z34フェアレディZが登場したのが2008年だから、すでに12年が経過している。各世代モデルライフが長いZにしても異例に長い。モデルチェンジが待たれていただけに、新型Zの発表は大きな反響を呼んだのだ。
デビューが待ち遠しい7代目フェアレディZ。1969年の登場から51年、フェアレディZの歴史を振り返り、そして未来を見ていこう!
※本稿は2020年11月のものです
文/ベストカー編集部
写真/NISSAN、ベストカー編集部
撮影/奥隅圭之
初出:『ベストカー』 2020年12月10日号
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■初代 S30型
初代フェアレディZが登場したのは今から51年前の1969年10月18日のことだった。フェアレディZ誕生に欠くことのできない2人のキーパーソンがいる。当時、米国日産社長だった片山豊氏と、本社デザイン部の松尾良彦氏だ。
ベストカー連載「歴史の証人」でも取り上げたが、1966年暮れ、次期型ブルーバード(510型)の開発過程をチェックするため帰国していた片山氏が、その時松尾氏が手がけていたダットサン・フェアレディ後継モデルとして想定していたスポーツクーペデザイン案を見たことで、一気に市販化に向けたプロジェクトに進展した。
リーズナブルな価格帯のスポーツクーペが米国市場では必要だと考えていた片山氏の希望に、松尾氏が進めていたデザインスタディがマッチして会社が動き出しのだ。
こうして、松尾氏の「デザインA案」がブラッシュアップされて初代S30型フェアレディZが1969年10月にデビューした。
エンジンは2L 直列6気筒のL20型。SUツインキャブで130psを発揮した。全長4115mm、全幅1630mm、全高1280mmのボディはロングノーズ、キャビンバックでスタイリッシュ。スラントしたノーズを切り欠いてヘッドライトを埋め込む特徴的なフロントマスクは、その後のZのアイデンティティとなった。
ちなみにベースモデルの価格は84万円、装備を充実させ5速MTを搭載する「Z-L」が105万円だった。スカイラインGT-Rに搭載された直6DOHC、S20型エンジンを搭載するZ432もラインナップされたが、こちらは182万円と高価だった。このZ432は1971年で生産中止となり、代わりに登場したのが直6、2.4Lエンジンを搭載する240Zだ。
S30時代はちょうどオイルショックと排ガス規制が強化され始めた時期に重なる。240Zはわずか2年後の1973年には販売を終了し、2Lエンジンは1975年にはSUツインキャブから電制燃料噴射に変更された。その間、1974年にはホイールベースを300mm延長し、後部座席を設けた2by2を設定したのもトピックス。
この初代S30型はモータースポーツにも積極的に参戦し、サーキットでは日本グランプリやGCシリーズなどで存在感を示すともに、東アフリカサファリラリーやモンテカルロラリーなどでの活躍で、一躍世界にアピールした。
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