現在のコンパクトカーのなかでも小さい部類となっている日産マーチは、今年で初代モデルの登場から40周年を迎えるなど、日本で販売される日産車では5本の指に入る伝統を持つモデルである。
現在、マーチは日本や新興国などで販売される現行型と、マイクラの車名で販売される欧州向けは別のモデルとなっており、日本向けの将来は不透明だ。そんななか、マイクラの次期モデルはデザインを日産が、開発はルノーが担当するコンパクトEVとして2024年以降に登場することが今年1月に発表された。
こうしたタイミングもあり、ここでは歴代マーチを振り返り、その存在意義や日本でのマーチの将来を考えてみた。
文/永田恵一、写真/日産
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初代マーチは、当時の日産車のラインナップでサニーやパルサーの下となるエントリーカーとして登場。FFのコンパクトカーは日産がそれまで手がけたことがなかったジャンルだったこともあり、初代マーチは当時まだ名残のあったプリンス系のモデルとして新開発の1L4気筒エンジンを搭載し、基本デザインはあのジウジアーロに依頼するなど、力の入ったモデルだった。
初代マーチは市販前提車として1981年の東京モーターショーに出展されたあと、一般公募により車名がマーチに決定。登場時に当時18歳で人気だったタレントの近藤真彦氏をイメージキャラクターに起用するなど、プロモーションにも力が入ったモデルでもあった。
マーチは2代目モデル以降もそうだったように10年という長いモデルサイクルだったこともあり、スポーツモデルのターボ、お買い得仕様のiZ、モータースポーツ参戦ベースのRとその一般向けとなるスーパーターボなどなど、追加されたバリエーションも数多かった。
特に「R」と「スーパーターボ」は昭和と平成の境目という時代にターボに低回転域を担当するスーパーチャージャーを加えたふたつの過給機を持つエンジンを搭載。930ccに排気量ダウンされたエンジンで最高出力は110psを誇り、乱暴なクルマだったのも事実ながら面白いといえば面白いクルマでもあった。
また、初代マーチはBe-1、パオ、フィガロと続いたパイクカーシリーズのベース車という重要な役割も担っていたのも見逃せないポイントだ。
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