1980年にフルモデルチェンジを受けた4代目C31型ローレル。かの有名なデザイナー、ジバンシィの名が付けられた特別仕様車もあったのだ。第12回目となる日産ヘリテージ連載は、4代目C31型ローレルとその限定車「ジバンシィ・バージョン」を取り上げよう。
文/大音安弘、写真/池之平昌信、日産
■欧州風のデザインを身にまとった4代目ローレル
クルマのCMに、タレントや著名人が登場することは多いが、1980年代の日産でも、海外の著名人をイメージキャラクターとして起用。最も有名なのが、6代目R30型スカイラインのポール・ニューマンだろう。
そして、同時期に4代目ローレルの販売テコ入れのために、白羽の矢が立ったのがなんとフランスのファンションデザイナー、ユーベル・ド・ジバンシィであった。驚くべきことに、「ジバンシィ」の名を冠した限定車まで登場した。
4代目となる日産C31型ローレルは1980年(昭和55年)11月5日、フルモデルチェンジを発表した。開発を指揮したのは、基本構造を共有するスカイラインと兼任で桜井眞一郎氏が担当。
伝統の豪華なハイオーナーカー路線を継承しつつ、桜井氏の「走る、曲がる、止まる」の基本性能を重視し、走りもいいローレルへと進化。「アウトバーンの疾風(かぜ)」というキャッチコピーが物語るように、エクステリアも劇的に変わり、シャープなヨーロピアン調デザインのエクステリアが与えられ、走りのよさを感じさせる仕上がりだった。
■ボディは4ドアモデルに特化
ボディタイプは、2代目と3代目にあった2ドアハードトップを廃止し、4ドアに一本化。日産お得意のスタイリッシュな4ドアピラーレスハードトップと、王道の4ドアセダンの2本立てに。
いずれもスラントノーズの端正な顔立ちが与えられていたが、フロントグリルとリアテールランプ周りを変更することで差別化。人気の4ドアハードトップは、フロントガラスとリアガラスの傾斜を強め、よりスポーティなスタイルに仕上げられ、空気抵抗係数(Cd値)は0.38と優れた値を実現。ボディカラーには、お洒落で上品なツートンも用意された。
インテリアは、ゆとりあるソファのようなシートを中心に構築された贅沢な空間に仕立てた。さらに快適性を高めるべく床面を下げることで室内高を拡大し、ドア構造を見直すことで室内幅も拡大させている。
サスペンションは、走りのよさを高めるだけでなく、スプリングをソフトとすることで乗り心地のよさも両立。もちろん、徹底した騒音と振動の対策を施すことで静粛性も高められていた。
ハイオーナーカーにふさわしい豪華な装備を誇り、マイコン制御オートエアコン、電子チューナーラジオとダイレクトドライブカセットデッキなどを備える高性能オーディオ、リヤガラスアンテナ、クルーズコントロールなどを採用。
さらに国内初の運転席の無断調整式シートリフターに加え、世界初となるタイマー付きパワーウィンドウとコラムAT車の足踏み解除式パーキングブレーキを採用するなど時代の先を行く快適機能も備えていた。
■ガソリンとディーゼルの多彩なパワーユニットを設定
パワーユニットも多彩で、ガソリン車では自然吸気の1.8Lと2Lの4気筒エンジンを始め、自然吸気の2Lと2.8Lの6気筒エンジン、俊敏な加速を得意とする2L直6ターボエンジンを。さらにディーゼル車は、自然吸気の2L4気筒と2.8L6気筒エンジンをそれぞれ用意。いずれもSOHCエンジンであるのは時代を感じさせるところだ。
高級車らしく、ほとんどのグレードに3速ATが選択可能なうえ、セダン上位グレードのAT車では、フロアシフトとコラムシフトの両方から選択ができた。このコラムシフトを選択すると、フロントが3名乗車可能な6人乗りとなっている。
発売当時の新車価格は4ドアセダンが109万8000~230万5000円、4ドアハードトップが128万2000~240万円(ともに東京地区標準価格)であった。ちなみに、メダリストが最も豪華な仕様となっており、その最高潮が、ハードトップの2800メダリスト(3速AT車)であった。
簡単にC31型ローレルの歴史を振り返ると、1981年(昭和56年)2月には、桜井スピリッツを感じさせるスポーティ仕様「GX」をハードトップとセダンに各々追加。エンジンは、2L6気筒の自然吸気仕様とターボ仕様が用意され、上位モデルを中心に採用されていた4輪独立懸架の採用を始め、4輪ディスクブレーキとリアスタビライザーが奢られた。
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