販売不振などもあり、2010年に日本市場での乗用車の販売から撤退したヒョンデ(Hyundai)。韓流ブームの最中に日本上陸を果たしたものの、デザインにあまり個性がなく、日本国内ではあまり話題になることがなかった。
しかし2022年2月に斬新なデザインをまとったFCEV(燃料電池車)とBEV(バッテリー電気自動車)とともに、日本国内での販売を再開した。
欧州市場で高い評価を得ているヒョンデが、あらためて日本市場に復帰した狙いと勝算を読み解こう。
文/小林敦志、写真/Hyundai
■12年ぶりの再参入
2022年2月8日、韓国ヒュンダイ改めヒョンデ自動車が、12年ぶりに日本市場での乗用車販売に再参入することを正式に発表した。
かつてヒョンデが日本市場に初めて乗用車の投入をスタートさせたのは2001年。スタート直後には、日本では第一次韓流ブームが巻き起こった。その発端ともいえる韓流ドラマのタイトルと同じ車名となる、トヨタカムリクラスのソナタというモデルをヒョンデはいまもラインナップしている。
しかし、当時5代目NF型の登場を待ったと思われるが、熱狂的な韓流ブームが落ち着き始めた2005年にソナタの国内販売がスタートした。当時販売ディーラーで聞くと、「モデルチェンジ直前でもいいから、韓流ブームが最高潮のころにソナタを日本に入れてもらえば……」といった話もあった。
事実、新車を買うつもりがなくても、韓国車を扱うということで、何か韓流グッズがもらえると思い、当時の韓流ブームを支えていた主婦層が店頭をたびたび訪れることがあったとのこと。
基本的には単に流行りに便乗することなく、実直に日本市場で新車販売を進めようとしたのかもしれないが、結果的に2010年に日本における乗用車販売から撤退している(その後観光バス“ユニバース”の販売はいままで継続されている)。
今回、乗用車販売の再参入を決めたのは新会長の影響が大きいとの話がある。ヒョンデは2020年10月に、それまでの鄭 夢九(チョン・モング)会長から創業家3代目となる鄭 義宣(チョン・ウィソン)氏が新会長に就任した。
チョン・モング前会長時代には、「日本市場への乗用車販売再参入はない」というスタンスが貫かれていたと聞いており、会長就任前からすでに実権を握っていたとされる、チョン・ウィソン新会長の下日本市場再参入が進められたとの話もある。
■まずは2台のみをオンライン販売で
日本市場への乗用車販売の再参入において、まずBEV(バッテリー電気自動車)となる“アイオニック5”と、FCEV(燃料電池車)となる“ネッソ”の2台をオンライン販売のみで進めていくとしている。
再参入の正式発表に先立ち、ヒョンデはネッソをメディア露出やモータージャーナリストなどに積極的に試乗してもらったりする一方、カーシェアリング車両として使ってもらうなど、入念に投入前の市場リサーチを行っていた。
一度撤退しているだけに、軽々には再参入することはできないという、“決意”のようなものを個人的には感じた。
韓国ブランドで初めてのオリジナルモデルとしてデビューしたのは、1975年の初代ヒョンデポニー(コンパクトハッチバック)となる。そして1985年にポニーの後継モデルとなる“ポニー エクセル”がデビュー。
のちにポニー エクセルからエクセルへ改名するのだが、このモデルが1986年に初めて北米市場で販売されるようになってくると、韓国車というものが世界的に注目されるようになった。
ヒョンデUSAによると、2022年2月のアメリカでのヒョンデ車の販売台数は5万2424台、ヒョンデ傘下の起亜(キア)USAによると、起亜ブランド車の販売台数は4万9182台となり、この2ブランド(ヒョンデグループ)の合計販売台数は10万1606台となった。
一方アメリカンホンダによると、2022年2月のホンダ及びアキュラの合算、つまりホンダトータルの販売台数は8万4394台となっている。アメリカにおいてヒョンデはジェネシスという上級ブランドもあるのだが、ヒョンデと起亜だけで、ホンダトータルの販売台数を抜いている。