ニッポンのクルマ界が生み出した名車を振り返る本企画。今やマツダの象徴的なアイコンとなっているロードスター。
その原点はバブルに浮かれていた時代に生まれた初代ユーノスロードスターだった。
マツダ初代ユーノスロードスター
(1989~1998年)
文:鈴木直也/イラスト:稲垣謙治
ベストカープラス2016年10月17日号
これぞスポーツカーのスタンダード
初代NA型ロードスターがデビューした1989年は、日本のいわゆるバブル経済が頂点に達した年。まさに日本中がアホみたいに浮かれていた時代だった。
だから、当時の名称でいうところのユーノスロードスターが発売になっても、実はそんなに大きな注目を集めたわけじゃない。
だって、1989~90年といったあの時代は、R32スカイラインGT-Rだとか初代セルシオとか初代NSXとか、この時代はより速く、より豪華にという“イケイケ志向”こそ正義だった。
ロードスターの場合、正統派FRライトウェイトスポーツの復活という好評価はあったけれども、どちらかというと「たくさんある楽しいクルマの1台」というとらえ方だった。
新しさより懐かしさが先に立つ、こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、Be-1やセラみたいな“一発屋”で終わる可能性だってあったんじゃないかとさえ思う。
でも、ロードスターがそうならなかったのはこのクルマにスポーツカーの“原点”ともいえる走りの魅力があったからだ。
あれから25年が過ぎた今、当時のまま生き残っているモデルはロードスターのみ。しかも、4代目のND型の登場でその評価はますます高まっている。
ロードスターがこれだけ長くクルマ好きから愛されている最大の理由は、つきなみだけど「それがスポーツカーのスタンダードだから」ということに尽きる。
そもそもスポーツカーとは、走る機能に撤したクルマ。
昔は高性能エンジンを作ることが難しかったから、しかたなく余計なもの(屋根とか窓とか後ろのシート)を捨て去ってスポーツカーを仕立てた。それがライトウェイトスポーツの原点だった。
今思うと、1990年代というのは非常にきらびやかなクルマが流行った時代でもあったが、それと同時に衝突、燃費、排ガスなどさまざまな規制が厳しくなりつつあった変革期でもあった。
技術の進歩で高性能化は容易になったけれど、そのいっぽうでよけいなデバイスや重い装備なども背負わなくちゃならず、クルマそのものがだんだんと重苦しい存在になりつつあった。
ロードスターというクルマはまさにそんな時代の“一服の清涼剤”的存在。
オープンスポーツならではの爽快感も気持ちイイが、いつの間にか背負っていたよけいな荷物をすべて放り出したような開放感、これこそがこのクルマの最も大きな魅力だったのだといえる。
初代NAの頃ですらそうだったんだから、NB、NCと続く後の時代になると、この爽快感は絶滅危惧種なみに貴重な存在となる。
“失われた20年”という言葉があるけど、この四半世紀ぼくらはいつでもロードスターというクルマを買うことができた。
よくぞまぁ、絶滅させずに残してくれました。スポーツカーファンはマツダに感謝しなくちゃいけないと思う。
そして今では、ロードスターは単なるスポーツカーを超えた、ある種の社会的なアイコン。ここまで愛されたスポーツカーは、世界的にも珍しいんじゃないでしょうか?
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