これまで日本にはたくさんのクルマが生まれては消えていった。そのなかには、「珍車」などと呼ばれ、現代でも面白おかしく語られているモデルもある。しかし、それらのクルマが試金石となったことで、数々の名車が生まれたと言っても過言ではない。
当連載では、これら「珍車」と呼ばれた伝説のクルマや技術などをピックアップし、その特徴を解説しつつ、日本の自動車文化を豊かにしてくれたことへの感謝と「愛」を語っていく。今回は、オートザム AZ-1について紹介していこう。
文/フォッケウルフ、写真/マツダ
■バブル景気が生み出したドリームカー
1989年に行われた第28回東京モーターショーは、当時のフランクフルトやパリと並ぶインターナショナルショーとしての体裁が整ったモーターショーとして多くの人の記憶に刻まれている。
晴海から幕張メッセへと移転して展示規模が大幅に拡大された会場には300社以上のメーカーと800台を超える車両が集い、見どころ盛りだくさんだったわけだが、そこにマツダは「オートザム AZ550スポーツ タイプA、B、 C」と名付けた軽自動車規格のスポーツカーを展示していた。
タイプA、B、Cと銘打つ通り、出展されていたのは3台。リトラクタブルヘッドライトとガルウィングドアを持つタイプA。丸みのある個性的なクーペフォルムを特徴とするタイプB。そして、グループCカーのイメージをそのまま表現したタイプC。いずれも3気筒エンジンをミッドシップ配置として後輪を駆動するなど基本となるメカニズムを共通としたモジュラータイプのスポーツカーだった。
そしてモーターショーから3年後の1992年、オートザム AZ550スポーツは「オートザム AZ-1」と名付けられ、参考出品だったショーカーの姿をほぼ踏襲して市販化される。
地を這うような低さ、上下に開くガルウィングドアを採用した斬新なスタイル、アウターパネルをオールプラスチック製とした軽量ボディなどによってAZ-1は軽自動車ながら「世界最小のスーパーカー」と称された。
コメント
コメントの使い方滅茶苦茶懐かしい車ですね
引越してしまった友達のお父さんが青色のAZ1に乗ってましたね
そして、たまに今でも赤色のを尾張旭市や瀬戸市で見掛けますね
そのうちいくつかはスズキキャラでは?
OEMだったスズキキャラ忘れないでもろて。売れなかったけど、名古屋池下ではたまに見るよ。同じ人のだけど。