21世紀に入ってからは技術の進歩もあり「ひどく出来の悪いクルマ」というのを目にすることはなくなった。
しかし1990年代まではそれほど出来のよくないクルマというのもしばしばあり、その割りに大ヒットしたクルマが時たまあった。
当記事ではそんなクルマとしての評価、前評判は決して高くなかったものの、ユーザーから受け入れられたクルマたち集め、大ヒットした理由も交えながら振り返る。
文:永田恵一/写真:TOYOTA、NISSAN、HONDA、MITSUBISHI、MAZDA、MERCEDES-BENZ、BMW、VW
初代日産キューブ
販売期間:1998~2002年
評価が低い理由:内外装、走りとも質感が低く乗車定員が4人

日産が本当に厳しい状況にあった1998年に登場した初代キューブは、当時の2代目マーチをベースにした今でいうスズキソリオのようなプチバンで、ジャンルこそやや違うものの初代デミオに似た部分も持つモデルである。
クルマ自体はベースとなった2代目マーチが登場から6年が経っていたのに加え、全高を上げた割に着座位置は上がっていなかったこともありミニバン的なコンセプトにしては見晴らしのよさに欠けるなど、特に評価できる部分はなかった。
しかし広さやバックドアのガラス部分が開くことによる使い勝手のよさや初代デミオ同様に安かったことを理由に大人気車となり、苦しかった日産には孝行息子となった(結局翌年にルノーと資本提携を結ぶのだが)。
同時期に鳴り物入りでデビューしたホンダキャパのほうが評価は高かったが、ユーザーから支持されたのはキューブだった。キャパの敗因は価格設定で、キューブよりも高めだったことで、ユーザーがキューブに流れてしまって失敗。

初代マツダデミオ
販売期間:1996~2002年
評価が低い理由:安っぽい

マツダがどん底にあった1996年に登場した初代デミオは、既存のプラットホームなどを使ったタワーパーキングにも入るコンパクトワゴンである。
クルマ自体は大きな問題こそなかったが、特に初期モデルは今思うとペナペナで安っぽさも目立った。
しかし初代デミオのコンセプトはキャビン、ラゲッジスペースともに広く、シートもフルフラットになり仮眠もできるなど実用的で、かつ安価だったこともあり、不景気だった日本では大ヒットを飛ばし、当時の苦しかったマツダには救世主的な存在となった。

初代トヨタカリーナED
販売期間:1985~1989年
評価が低かった理由:セダンとしては車高が低すぎて後席は極狭

初代カリーナEDはセリカがFFとなった4代目モデルへのフルモデルチェンジを機に登場したコロナクーペとともに、再編成され生まれた三兄弟の1台である。
セリカもあるだけにそれぞれ実用性は重視しないスペシャリティなモデルたちであったが、その中でカリーナEDは4ドアながら全高は1310mmと2ドアクーペ並みに低い4ドアクーペ、「2ドア車にドアが付いているだけ」というクルマだった。当然室内は狭く、自動車メディアでは「4ドアでこんなクルマはけしからん」といった酷評が相次いだ。
しかし初代カリーナEDはそんな評価をものともせず大ヒット車となり、1989年のフルモデルチェンジでコロナクーペはカリーナEDをそのまま兄弟車としたコロナエクシヴに移行するほどだった。
その後RVブームによりミニバンやステーションワゴンが市民権を握ったこともありカリーナEDは三世代、コロナエクシヴは二世代で姿を消すが、一世を風靡したことは間違いない。
カリーナEDが大ヒットした理由を考えると日本人の「『カッコいいクルマに乗りたい』と思っていても、2ドア車はハードルが高い。でも4ドアで2ドア車よりは広いリアシートがあれば、一気にハードルが下がる」という消費者心理に見事にマッチしたということに尽きるのではないだろうか。

カリーナEDのコンセプトの凄さがより深くわかるのが絶版になってからで、2005年あたりからカリーナEDほど狭くはないもののカリーナEDの影響を感じる4ドア車がベンツCLSを皮切りに、BMW4シリーズのグランクーペ、6シリーズのグランツーリスモ、VWアルテオンなど続出。
現代の日本車にカリーナEDのようなクルマがないのが皮肉である。
初代三菱ディアマンテ
販売期間:1990~1995年
評価が低い理由:BMWに似ている以外特徴のないFFセダン

初代ディアマンテもアコードインスパイア&ビガーと同様にマークⅡのマーケットに参入したモデルである。
初代ディアマンテ自体は当時の三菱車らしいハイテク装備が目立ったものの、それ以外はごく普通のエンジン横置きのFF車で、一部自動車メディアではBMWによく似たスタイルに対する批判もあった。
しかし初代ディアマンテがそれまでの上級小型車と違ったのは、平成に入って自動車税と任意保険料が改正され、2.5L級の3ナンバーボディのクルマが庶民にも買いやすくなる可能性があった点に着目した点である。
これは賭けでもあったが、改正は無事行われ、ちょうどそのタイミングで登場したディアマンテはクルマ自体よりも商品力の高さで大ヒット車となり、巧妙な商品企画も含め歴史に名を残した。

ホンダ初代アコードインスパイア&3代目ビガー
販売期間:1989~1995年
評価が低い理由:FFなのに運転席の足元が狭い、トラクション不足

平成に入るまでホンダはレジェンドこそあったものの、当時マークⅡ三兄弟が国民車的存在になるほど売れていた上級小型車といういかにも日本的なジャンルに参入することが悲願であった。
そこにアコードの上級車として投入したのがアコードインスパイアと3代目ビガーである。
このジャンルはFR車とするのが常套手段であるが、残念ながら当時のホンダにFR車を作るのは生産設備などの関係で実現できなかった。
ではどうしたかというと、「FF車でFRのようなフロントオーバーハングの短いスタイルにしたい」という目的もあり、FFミッドシップと呼ばれる直列5気筒エンジンを縦に積んだ後方にトランスミッションを置き、動力はトランスミッション前方に移動したデファレンシャルを介して駆動するという構造が誕生した。
FFミッドシップは前述したスタイルとFF車ながらタイヤの切れ角が大きくFR車のように小回りが利くというメリットはあった。

しかしそれ以外はエンジン搭載位置の関係でトラクション(駆動力)が弱い、FFなのに車内にトランスミッションが張り出し前席足元が狭いといったデメリットも目立った。
そのため自動車メディアでは「素直にFRにすればいいのに」という評価も多く、お世辞にも正しいとか理論的とは言えない構造だった。
しかしアコードインスパイア&ビガーは大成功を納めた。成功の最大の要因はスタイルと、木目パネルに革、モケット、当時出始めたアルカンターラ(人工スウェード)を巧みに組み合わせた魅力的なインテリアに尽き、クルマにとってカッコよさの大事さを痛感する。
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クルマも人と同じように総合力はそれほど高くなくとも、成功する場合がある。それだけに人もクルマも器用さも重要だが、飛び抜けた魅力を持つことで道が開けることがあるのもこういったクルマたちを見るとよくわかる。