1990年までベネトンでメカニックを務めた日本人F1メカニックの第一人者、津川哲夫氏が、現場の人間にしか知り得ないF1メカニックの今と昔を語る。
〈前編〉では、現代のF1メカニックはほとんどの作業をコンピュータ相手に行うようになり、チームの規模も1990年代とは比べものにならないほど大きくなったことを書いた。
〈後編〉の今回は、仕事内容とともに変わりゆくF1メカニックのメンタリティ、そしてドライバーとの人間関係に焦点を当てる。
文:津川哲夫/写真:ベストカー編集部、RedBull
ベストカー2016年2月26日号
昔のF1メカニックは整備士であって、アッセンブラーではなかった
究極のテクノロジーを駆使する近代F1。複雑に入り組んだ最新技術はマシンを走らせるスタッフ達に専門的な知識を要求し、1000分の1秒を争うためにはその専門家集団が如何に不備なく完璧性を保つかが要となっている。
したがって、各部門に特化した専門家達が集まり、スタッフの仕事はその専門分野ごとに実に細かく分業化されてきた。
もちろん僕の昔の職業であったメカニックも、複雑で大量の仕事をこなすには、この分業化が必要不可欠で、メカニック達に大きな変化を要求してきた。
このメカニックのあり方の変化は、技術ばかりでなくメンタリティーでの変化も強要したのだ。
遠い昔、メカニックは車体すべて、多くの場合、車体をはみ出してまで多くの仕事をこなしてきたものだ。まだ僅かな人数の作業で仕事が賄えた時代である。
マシンごとにたった2人や3人のメカニックですべてをこなしていた。当時のメカニックは、現在では細かく分業化されている職種のほぼすべてを担っていたのだ。
したがって、ベテランメカニック達はF1マシン全域を把握し理解していた。もちろん、各部の専門家には及ばないものの、少なくとも目の前のマシンを、自分の持つすべての知識を駆使して走らせることができた。
F1マシンを俯瞰して見つめ、その細部を把握することがメカニックの仕事であり、能力の判断材料であった。当時のメカニックは“整備士”であって、(予め組み立てられたパーツ一式を交換する)“アッセンブラー”ではなかった。
もちろん専門家ではないので、各部の専門家に任さねばならないことも多々あるのだが、トラブルを発見するノウハウや、メカニックの立場として問題点を専門家やエンジニア達と対等にディスカッションできるノウハウと技術が要求されていた時代であった。
ディスカッションはエンジニアやドライバーとも当然のように行われていた。
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