近年は堅調とは言えないものの、かつては経済的にも潤っていた我が国。そうした状況の日本は、国内はもとより海外の自動車メーカーにとっても魅力的な市場だった。そんな日本に向けて輸出されたクルマも数多いが、鳴り物入りで上陸しながらもまったく成果を残せなかったというケースもまた多い。今回は期待されたにもかかわらず惨敗に終わった残念な輸入車たちを見ていこう。
文/長谷川 敦、写真/FavCars.com、Newspress UK、トヨタ
【画像ギャラリー】鳴り物入りでの日本上陸したものの「……」な輸入車たち(9枚)画像ギャラリー価格勝負も挑むも返り討ちに 「クライスラー ネオン」
世界有数の規模を誇るアメリカのクライスラー。以前はいかにもアメ車といった大柄なクルマが多く、それで問題はなかったが、1980年代になると小型でコストパフォーマンスのよい日本車の攻勢を受けて苦戦し始めていた。
こうした状況を打破し、さらには日本や韓国などでも販売を伸ばせるように開発されたのがネオンだった。
1994年に発表された初代ネオンは、1.8~2.0リッターエンジンを搭載する4ドアセダン。日本では3ナンバーサイズになってしまったものの、アメ車としては小さく、なにより最も安いモデルが約130万円という価格を全面に押し出した。
4ドアセダンで130万円は、日本でネオンが販売開始された1996年でも十分に安いと言えたが、問題はその内容。ロープライスグレードはマニュアルシフトのみでエアコン&オーディオなしというさみしいものだった。ちなみに3速オートマや各種装備が付属する最上級グレードの価格は約180万円。
130万円と聞くとお買い得に思えるかもしれないが、前述のとおりかなり切り詰めた仕様であり、さらに中身は当時のアメ車クオリティだったため、使い勝手がよいとは言えず、故障もそれなりにあったという。
これでは同じ価格帯の日本車太刀打ちできず、1999年に登場した2代目も販売を伸ばすことはかなわなかった。そしてこの2代目をもってネオンは打ち切りの憂き目に合うことになった。
不殺に終わった日本車キラー 「GMサターン」
ここでは個別の車種ではなく、ブランドとして日本で成功できなかったケースを紹介していきたい。
アメリカの大手自動車メーカー・ゼネラルモーターズ(GM)が、順調に売り上げを積み上げていた日本車に対抗するため設立した新ブランドがサターン。時に1985年のことだった。
ユーザーと環境に優しいクルマ作りを目指したサターンは、販売戦略においても次々と新機軸を打ち出し、第一弾となるSシリーズでは、ドアや外装に金属ではなく変形しにくい樹脂を使用し、製品コストを下げるとともに維持費の節約にも努めていた。
そんなサターンが満を持して日本に進出したのは1997年で、「礼をつくす会社、礼をつくすクルマ」のフレーズを引っさげて登場。自動車メーカーらしからぬイメージ優先のTV CMや、来店客に過度のプレッシャーをかけない営業スタイルが注目された。
国内で販売されたのは小型モデルのSシリーズのみで、価格帯も十分国産車と勝負できるものではあった。ラインナップはクーペのSC、セダンのSL、そしてワゴンモデルのSW。肝心のクルマの内容もクライスラー ネオンに比べてはるかに上質と言えた。だが、サターンは日本で成功を収めることができずに終わる。
サターンの販売方式の特徴に、一切の値引きをしない「ワンプライス販売」があった。これゆえに来店客にプレッシャーをかけることはなかったものの、大幅な値引きも珍しくはなかった日本車に比べてお得感は低く「ならばクオリティの保証されている日本車から乗り換える理由もない」と考える顧客も多かった。
結局サターンはわずか4年で日本から撤退することになる。その後もアメリカとカナダで複数のサターンブランド車が継続販売されていたものの、業績は振るわず、2009年のGM社経営破綻によってサターンブランドは消滅してしまう。
クライスラー ネオン、GMサターンは価格やサイズなどに起因する期待から「日本車キラー」とも呼ばれていたが、日本車は彼らに殺されてしまうほどヤワではなかった。
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