2014年11月に逝去した自動車評論家、徳大寺 有恒。ベストカーが今あるのも氏の活躍があってこそだが、ここでは2013年の本誌企画「俺と疾れ!!」をご紹介する。(本稿は『ベストカー』2013年9月10日号に掲載したものを再編集したものです/著作権上の観点から質問いただいた方の文面は非掲載とし、それに合わせて適宜修正しています)。
■学生の頃の思い出
今私は自分の書斎で古いCDを聞いている。演奏されている曲はモダーンジャズの名曲で「君住む街で」だ。ジョージ・シアリングのピアノは何度聞いても飽きない。
むろんこの曲はオードリー・ヘップバーンが主演した「マイ・フェア・レディ」にも使われた曲だ。
ジャズのピアノならMJQ(マンハッタン・ジャズ・クインテッド)を結成したジョン・ルイスも大好きなピアニストだ。
若い頃、具体的には大学生の頃だが、いろんなジャズプレイヤーを好きになった。ただ当時は、レコードとその再生システム(つまりプレイヤー)が買えず、もっぱらモダーンジャズを聞かせてくれる喫茶店に行っていた。渋谷の「デュエット」は大好きな店であった。
ここでは自分のリクエストのレコードがかかるまで2時間くらい待たなければならなかった。そんななじみのジャズ喫茶は新宿にも2、3軒あった。また下北沢の「ルポ」にもよく行った。
当時はステレオプレイヤーを買えない私のような貧乏人がたくさんいて、友達になったが、下北沢の「ルポ」で知り合った友人が一番多かったように思う。ジャズ喫茶というよりもレコード喫茶といっていたと思う。新宿、渋谷に多くむろん銀座にもあった。とにかく音楽とファッションに夢中だった。
ファッションのほうでは渋谷のホマレヤと新宿のタカキューが好きだった。
もちろんクルマが本命なのだが、買えないので、もっぱらクルマが通る赤坂あたりをのぞくだけだった。
私の大学生の頃といえば、1950年代のアメリカ車全盛の時代だった。シヴォレー、プリマス、フォード、ダッジなどは中古でも400万円くらいだった。ポルシェもあったが、まだマイナーな存在だった。
今でもよく覚えているのは、『ペンギンモータース』という中古車屋で、ここにはいいクルマがあった。
高級車はキャデラック、ビュイック、パッカードというところで、ヨーロッパ車はあまり中古車屋に出てこなかった。ユーザーはヤミ屋とか土建屋といった人が多く、地方で小銭を持っている人がオースチンやヒルマンに乗り、やがて買収された後も昔の名前で出ていたランチェスターやウーズレーなどもあった。
そのなかでも目立って高級だったのがディムラーで今上天皇が皇太子の頃にエリザベス2世の戴冠式に出かけられ、持ち帰られたディムラーストレートエイトは、日英自動車が2台輸入した。当時800万円とか噂され、抜きん出た存在だった。
ディムラーストレートエイトは、ホテルニューオータニを生み、ホテル王と呼ばれた大谷米太郎氏が愛したクルマでもあった。
当時、日英はランチェスターの代理店もやっていたから、ランチェスター・レダもあった。このクルマは成城大学の英語の女性講師が乗っていた。モスグリーンのとても上品なクルマだったことを覚えている。
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