日産、ホンダはラインナップでファミリーネームを持つモデルはあまり見られない。しかし、トヨタは最新モデルで見ても、「カローラ」では「スポーツ」「ツーリング」「セダン」「クロス」、「ヤリス」では「クロス」と設定があり、過去にも多く存在する。
差別化を図ったほうが、デザインも自由度が上がると思うが、あえてしない理由は何なのか? 知名度を優先させているのか? それとも何かしらの戦略があるのだろうか?
今回は、トヨタのファミリーネーム採用に関するこだわりの謎について考察していきたい。
文/御堀直嗣
写真/TOYOTA、編集部
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■「何者か?」がすぐにわかる車種での採用が目立つファミリーネーム
トヨタは、なぜ、「カローラ」の車名に、スポーツ、セダン、ツーリング、クロスといった車種名を付けた呼び名とするのか。一番の理由は、カローラという車名が、ビッグネームとして定着しているからだろう。
消費者も、カローラと頭に付けば、間違いのないクルマとして認識し、手ごろな価格で自分でも手に入れられる車種の一台として選択肢に入ってくる。
逆に、日産やホンダにそうした車名のつけ方が現在はあまり見られないのはなぜだろう。以前は、そうした車名があった。日産では、サニー・カリフォルニアやパルサー・エクサという車種があった。ホンダは、シビック・カントリーとかシビック・シャトル、あるいはフィット・シャトルといういい方をしていた時がある。
カローラは、1966年に初代が誕生した。1955年に、純国産車として「クラウン」が誕生して以降、1957年には「コロナ」が生まれ、1961年には「パブリカ」が登場している。したがってカローラの誕生は、それらに比べ遅れてのことであった。
庶民でも買うことができる大衆車としては、すでにパブリカがあった。通産省が想起したとされる国民車構想に近い、より大衆な車種としてパブリカは生まれた。空冷式2気筒エンジンという、たとえばフランスの「2CV」のような、合理性を追求したいまでいうコンパクトカーといえるクルマがパブリカであった。その空冷2気筒エンジンは、「トヨタ S800」に活用されることになる。
しかしそれから間もなく、日本は高度経済成長をしはじめ、1964年には東京オリンピックを迎えることになる。同年に東海道新幹線が開通し、その前年には名神高速道路が開通した。
首都高速道路が、1962年に供用開始となっている。経済や生活の急速な進歩発展の中で、実用性を何より重視したパブリカより、高速時代を視野に、また、少し贅沢な気分を庶民でも味わえる小型車としてカローラが生まれるのである。
■派生の多い「カローラ」ファミリー 優位性を生かす車名採用
カローラ誕生の半年前には、日産から「サニー」が登場していた。以後、両車は競合として切磋琢磨していく関係になる。ただ、カローラは当初からサニーに対しやや優位な商品性を持っていた。
初代の両車は、ともにリッターカーと呼べる車格だったが、サニーが直列4気筒1000ccエンジンであったのに対し、カローラは1100ccで、広告宣伝でも「100ccの余裕」と語り優位性を主張した。
室内も、あえて赤い内装色を用いるなど、ほかと違う何かをわかりやすく示した。サニーも、2代目では1200ccエンジンを搭載してきたが、外観の造形は直線基調の簡素な様子を継承し、これに対しカローラは初代からやや丸みを帯び、ふくよかさを覚えさせ、上級車種との印象も持ち合わせた。
サニーが2ドアのクーペスタイルの車種を設けたが、カローラは同様の車種にカローラ・スプリンターという車名を与えたのである。
パブリカよりやや格上であるだけでなく、実用性に少しの贅沢さを加味したのが初代カローラであった。これを、開発主査を務めた長谷川達夫は、「80点+アルファ」という価値観で語った。パブリカは同じく長谷川達夫が開発を担っており、パブリカにはなかった当時の言葉でいう「デラックス」さをカローラには与えたのであった。これが、カローラをビッグネームにする原点となったといえるだろう。
そして、カローラの車名を頭に付けた車名は、たとえばカローラ・レビン、カローラII、カローラ・セレス、カローラFX、カローラ・スパシオなど、すべてを列挙できないほど多彩だ。それらはいずれも、性能や機能として80点という全体的に過不足がなく、そのうえで魅力的な価値を別に備えた車種であったといえる。こうした流れが、今日も続いているということではないか。
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