マツダが1989年9月に送り込んだ『ユーノスロードスター』は、ライトウェイト2シーターオープンスポーツという、古典的コンセプトながら、4世代、33年の絶え間ない熟成によって、まさに”至宝”と呼ぶにふさわしい一台へと昇華した。
ここでは、その物語を紹介していきたい。
※本稿は2022年4月のものです。
文/片岡英明
写真/ベストカー編集部、マツダ
初出:『ベストカー』2022年5月10日号
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■33年間に4代のロードスターが登場
多くの人が一度は憧れるのが爽快な運転を楽しめるオープンカーだ。マニアにとっては後輪駆動が理想だろう。FR方式のスポーツカーは意のままの気持ちいい走りを存分に楽しめる。また、設計陣からの語りかけも濃密だ。その筆頭といえばマツダの「ロードスター」だろう。
初登場から33年の間に4代のロードスターが登場した。いずれも魅力的だが、多くの人が最高の傑作と称賛し、強いインパクトを与えたのはユーノスチャンネルから送り出された初代のNA型ロードスターだ。
1989年夏にセンセーショナルなデビューを飾ったが、誕生までに多くのハードルがあり、苦難を乗り越えての正式発表だった。
■初代は走って楽しい軽量なFRオープンを前提に開発
スポーツモデルをDNAと考えるマツダは、何度もスポーツカーの先行開発を行っている。1980年代前半にはライトウェイトスポーツカーの構想が浮上し、リサーチが進められた。そして1986年2月の経営会議においてスポーツカー開発が正式に承認されるのである。
この魅力的な新型車プロジェクトに心を動かされ、開発推進本部の主査に手を挙げたのが平井敏彦さんだ。
主査に抜擢された平井さんは、人馬一体、バイク感覚の楽しいライトウエイト・オープンスポーツを開発しようと意気込んだ。
だが、企画設計から「量産車の開発に忙しくて人員を割けない」と冷たく言われ、企画グループからは「非力なスポーツカーは売れないから白紙にもどせ」と突き上げを食らっている。副社長からは「ロータリーエンジンを積め」とも言われた。
速いか遅いかではなく、走らせて楽しい、という点が大事だと平井敏彦さんは考えている。また、大胆な発想で、クルマ好きの夢を具現化してくれるスポーツカーでないと売れない、とも思っていた。だからクルマ好きであり、割り切った考え方ができるエンジニアを部下に選んだ。
空白となっている古典的な後輪駆動のFR車とし、運転する楽しさを前面に押し出している。もちろん、最初からソフトトップ装備の軽量なオープンカーしか考えていなかった。
だが、最大マーケットのアメリカは、その当時、世界一厳しい安全基準を設けている。米国連邦自動車安全基準は、衝突時だけでなく横転した時の安全性についても厳格だ。が、細かく調査すると例外規定があったのでフルオープン化が実現できた。
ボディはモノコック構造を採用するが、駆動系の周囲にはパワープラントフレームを採用してオープンカーの弱点だった剛性を高めている。
サスペンションは、軽快なハンドリングを実現するために4輪とも対地キャンバー変化の少ないダブルウイッシュボーンとしている。また、2名乗車時に50対50の前後重量配分になり、ヨー慣性モーメントを低減できるように設計した。
ブレーキはフロントにベンチレーテッドディスクを装備した4輪ディスクだ。
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