自動車の世界で「力の象徴」といえばマフラーだろう。近頃は排ガス規制やら温暖化やらで肩身も狭いが、シビックTYPE RやGRカローラの後ろ姿を見ると、やはりマフラーの存在感はデカイ。
そんなマフラーの究極美を競ってきたのが、ご存じスーパーカーの世界だ。自らの力を誇示するかのように各車がさまざまな手法を試み、左右分割や多管式など、息をのむようなデザインが数多く生まれた。
そこで、スーパーカーのマフラーはどんな進化を遂げてきたのか。その美しくも過激な歴史を、大乗フェラーリ教開祖でもある庶民派スーパーカー評論家、清水草一氏に語ってもらった!
文/清水草一、写真/清水草一、池之平昌信、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ、レクサス、パガーニ、マクラーレン、ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】過激すぎるスーパーカーのマフラー大図鑑!(23枚)画像ギャラリー2タイプが存在したカウンタックの12本出し
古典的なクルマ好き、スーパーカー好きにとって、排気管は極めて重要なアイテムだ。排気管は排気を噴き出すわけで、場合によっては火を噴いたりもする。お尻から火を噴く乗り物=ジェット機やロケット。スピードが絶対善だった時代、クルマの排気管の形状や本数は、ステイタスそのものだった。
スーパーカーブーム当時は、排気管の位置は「リヤバンパー下側の左右」が定番で、勝負は主に本数だった。
最低限、左右1本づつの2本出し。できれば左右2本づつの4本。基本的に多ければ多いほど強そうに見えるので、最強は、伝説の「マフラー12本出しカウンタック」である。12気筒だから12本出し! これ以上はこの世にない! という究極のマフラーだ。
カウンタックの12本出しには2種類あり、ひとつは、6本づつ上下2段に並べたタイプ。これは、スーパーカーブーム当時日本に実在し、スーパーカーショーで展示された。
スーパーカーライターの高桑氏秀典氏はこう語る。
「このクルマを誰が造ったのか、僕もまだちびっ子だったので、分からないのですが(笑)、当時の写真を見ると、ナンバープレートに『japan auto』と書いてあります。1978年4月30日に鈴鹿サーキットで開催された『全日本スーパーカー選手権大会』に参加していたとのウワサもあります。当時、ショップかオーナーさんが自主製作したのではないでしょうか」
もうひとつは、映画『キャノンボールラン』のオープニングに登場したカウンタックLP400Sで、こちらは12本のマフラーが1列に並べられていた(映画を見てもよくわからないが)。
どっちにせよ、まさに狂気というか、究極のバカ丸出しなマフラーで、現在でも世界中のマニアに愛されている。
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