クルマに盛り込まれた数多くの先端技術。なかにはその後の主流になるものもあれば、アイデア倒れに終わったものもある。今回は、注目すべき先進性を持ちながらも成功できなかった悲運のクルマ&技術を見ていこう。
文/長谷川 敦、写真/ホンダ、スバル、トヨタ、いすゞ
【画像ギャラリー】ものづくりニッポンの底力を見よ!! 世界を驚かせた名技術(16枚)画像ギャラリー■自動車の歴史は先端技術の歴史
自動車は、機械製品であることや市場規模の大きさからその時代の先端技術が投入されることが多い。その昔、ホンダ創業者の本田宗一郎氏はモータースポーツのことを「走る実験室」と呼んでいたが、公道を走るクルマにもそうした側面はある。
とはいえ、安全に関わる技術は充分な検証の後に市販車に採用されるため、実験的な新技術は運転効率を高めるタイプのものが多い。
そして100年を超えるクルマの歴史において数えきれないほどの新技術が投入され、そのなかの少なからぬものが早すぎる投入時期ゆえに定着できず消えていった。
今回スポットを当てるのも、そうした時代の先端をいく技術が投入されたものの、残念ながら商業的な成功を収めることはできなかったクルマたちだ。
■コンセプトは抜群! しかしやっぱり早すぎたふたつの技術
■世界初のカーナビゲーションシステム「ホンダ2代目アコード/ビガー」
現在のクルマには当たり前のように装着されているカーナビゲーションシステム。ほぼ確実に目的地まで導いてくれるカーナビだが、実用化にこぎつけるまでにはさまざまな紆余曲折があった。
そんなカーナビが初登場したのが1981年。ホンダから「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」として2代目アコードと兄弟車のビガーに装着されたものが世界初の市販型カーナビだった。
このシステムは人工衛星を利用する現在のGPSナビとは異なり、新開発のガスレートジャイロセンサーとタイヤ回転からの距離センサーで方位と移動量を検出し、16ビットCPUで現在位置を計算、表示するというもの。
地図は現在のようなデジタル式ではなく、半透明のフィルムに印刷したシートをブラウン管の画面に被せるスタイル。当然ながら、このシステムでは移動によって自車の位置が変わると地図を差し替えることになる。
エレクトロ・ジャイロケータの発想自体は後のGPSナビにつながるものであったが、地図フィルムの準備や差し替えをしなくてはならず、さらに地図フィルムのない場所では使えないなどの難点があった。
結局、このエレクトロ・ジャイロケータは定着せず、本格的なGPSナビの登場(1990年のユーノス コスモに搭載)まで約10年待つ必要があった。
■自動制御のマニュアルミッション!? 「いすゞ 初代アスカ/2代目ジェミニ」
現在の自動車用オートマチックトランスミッション(AT)は、流体を利用するトルクコンバーター(トルコン)式とベルト駆動のCVT式に大別される。どちらもドライバーのアクセル操作量と車速に応じて自動的に変速(CVTの場合は無段階変速)が行われ、シフト&クラッチ操作は必要ない。
しかし、かつてはマニュアルトランスミッションの機構そのものに自動変速機能を盛り込んだ意欲的なシステムが存在した。それがいすゞのNAVi5だ。
New Advanced Vehicle with Intelligentの頭文字をとってNAVi5と命名されたこのシステムは、従来の5速マニュアルトランスミッションのクラッチ&シフト操作をコンピュータが自動的に行う。
通常の乾式クラッチを使用するため、トルコンやCVTでは避けられない駆動伝達ロスがなく、5段変速による効率的な走りを可能にするこのNAVi5はクルマの未来を担う機構として1984年に登場した。
NAVi5は同年発売の初代アスカと2代目ジェミニに採用されたが、その完成度は高いとはいえず、運転時の変速タイミングに違和感を覚えたり、手動変速モードでの操作にコツが要求されたりなどの弱点もあった。
その後、他社から多段式ATが登場するとNAVi5の優位性も減ってしまい、同システムの採用はアスカ&ジェミニのみに留まった。
現在では、マニュアルトランスミッションと同様の変速方式でもクラッチ操作が不要なモデルも増えている。その思想を40年前に具現化したという点において、NAVi5の挑戦には意味があった。
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