日本の元祖スペシャルティカーのトヨタセリカは2006年に消滅し、36年にわたる歴史にピリオドを打った。早いもので消滅から15年が経とうとしている。
かつて日本のクルマ好き、若者を魅了し続けたセリカも、今の若い世代の人は名前も知らない存在になってしまったかもしれない。
セリカの上級車種として登場したスープラ(日本ではセリカXX)も一度は消滅しながらも、2019年に17年ぶりの復活を遂げたこともあり、セリカブランドが今後復活する可能性はゼロではない。
復活の淡い期待を抱きながら、セリカの偉大なる歴史を振り返っていく。
文/片岡英明、写真/TOYOTA
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初代は元祖日本のスペシャルティカー
ボトムのクルマまで高性能になった21世紀、人々のデザインに対する好みは大きく変わってきている。20世紀後半まで、クルマ好きの憧れの存在だったのが、ファッショナブルなデザインのクーペモデルだ。
1960年代から日本に定着したが、とりわけセンセーショナルだったのが、1970年12月に鮮烈なデビューを飾ったトヨタの「CELICA(セリカ)」である。
その1年前の東京モーターショーにトヨタは「EX-1」を参考出品したが、このショーカーのデザインを落とし込んだ流麗なスポーツクーペがセリカだ。
新しいジャンルのパーソナルカーであることを主張するために「クーペでもハードトップでもない、スペシャルティカー!!」のキャッチフレーズを用いた。
メカニカルコンポーネンツは同時期に発表されたカリーナと共通だが、スポーティ度を高めている。フラッグシップの1600GTが搭載するのは、ソレックスの高性能キャブレターに5速MTを組み合わせた2T-G型直列4気筒DOHCだ。
この1600GT以外は特定のグレードを持たず、ユーザー好みのクルマに仕立てられるフルチョイスシステムを採用している。これは自動車業界初の試みだった。
1973年春、セリカは新しい仲間を加えている。ファストバックデザインにリアゲートを組み合わせた伸びやかなフォルムのリフトバック(LB)だ。これを機に2Lシリーズも設定した。
2000GTが搭載するのはマークII2000GSSから譲り受けた18R-G型DOHCである。この直後から強化された排ガス規制に取り組み、1974年には最先端の電子制御燃料噴射装置、EFIを送り出した。
スポーツモデルの新しいトレンドと価値を提案し、デートカーとしても持てはやされたセリカは1977年夏まで第一線で活躍を続け、2代目にバトンを託している。
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