自動車メーカーは日夜、知恵と技術、マーケティングなどを駆使して新車を送り出している。そうであってもヒット車になれるのはひと握りだ。
しかし、現役時代には大ヒット車とまではいかず、あるいは失敗したものの、そのコンセプトや技術が後の人気車で花開いた例は少なくない。
そんな「失敗は成功のもと」というべきクルマや失敗とまではいかないものの、後世で大きく羽ばたいた、人気車の礎となったクルマにスポットライトを当てたい。
文/渡辺陽一郎 写真/HONDA、NISSAN、MAZDA、SUZUKI
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■ホンダ 初代インサイト/1999年
あまり売れなかったが、その後に登場した車種に大きな影響を与え、礎になったクルマがいくつか存在する。その代表が初代インサイトだ。
初代インサイトの発売は1999年11月で、初代プリウスの約2年後だ。世界で最も軽いといわれた直列3気筒1Lエンジンに、薄型DCブラシレスモーターを組み合わせて、車両重量はハイブリッドながら5速MTが820kg、10・15モード燃費は35km/Lだ。
初代プリウスは車両重量が1240kg、10・15モード燃費は28km/Lだったから、軽さと燃費では初代インサイトが勝っていた。
ところが売れ行きは伸び悩む。初代インサイトはコンパクトな2ドアクーペで、実用性も低い。価格はAT仕様が218万円だから、4ドアセダンの初代プリウス(215万円)よりも少し高い。
それでもインサイトは、ホンダが手掛けるハイブリッドの礎になった。2009年2月には2代目インサイトが発売され、5ナンバーサイズの5ドアハッチバックボディに、初代の技術を発展させたハイブリッドシステムを搭載。エンジンは直列4気筒1.3Lで動力性能に余裕が生まれ、価格は189万円(「G」グレード)と格安だから、幅広いユーザーに愛用された。
そしてライバル車の3代目プリウスは、2009年5月に発売され、2代目インサイトに対抗すべく価格を安く抑えた。プリウスの価格は「L」が205万円、「S」は220万円だからインサイト「G」よりも高いが、装備が充実して車内も広く、動力性能も上まわった。JC08モード燃費は、インサイト「G」が26km/L、プリウス「S」は30.4km/Lに達した。
つまり2代目インサイトは、3代目プリウスが商品力を高める手助けまで行った。今の日本はハイブリッド王国で、その主役はトヨタとされるが、初期段階では初代と2代目インサイトが重要な役割を担っている。インサイトの刺激が、トヨタのハイブリッド開発を加速させていた。そしてインサイトの礎の上に、今日のフィット e:HEVなども商品化されている。
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