2022年5月10日、北米ホンダはオデッセイ初のスポーツモデルを発表した。日本ではすでに生産終了となったオデッセイだが、北米ではまだまだ新モデルが発表されており、健在だ。
そもそも北米仕様のオデッセイは日本仕様とは異なるクルマで、一時はラグレイトの車名で日本に逆輸入され販売されていた。初代が北米で売れなかったため、北米ユーザーのニーズにこたえてボディもエンジンも大きくして開発された経緯がある。
そんなUS版オデッセイの開発エピソードを、3代目USオデッセイのLPL(開発責任者)を務めた藤原裕氏が当時の記憶を語る。
文/藤原 裕、写真/ホンダ
■日本と北米ではミニバンの系譜からして違っていた
まず、日本市場では、商用バン(キャブオーバー)を転用して、ファミリーユースやアウトドアユースに活用していた。1980年代に日産プレーリー、三菱シャリオがセミボンネットスタイルの多人数乗用車として展開され、トヨタタウンエースはキャブオーバーの多人数乗用車として販売していた。そのなかで、ホンダは遅ればせながら1994年に初代オデッセイを販売し、一大ヒット商品になった。
一方、北米では多人数乗用車はフルサイズバンがメインだったなかで、1983年にクライスラーボイジャーがミニバンとして適度なサイズと大人がゆったりと座れる3列シートバンを販売して、一大ヒット商品になった。その時、GMアストロ、フォードエアロスターも追随した。
■ホンダの4輪事業を救った初代オデッセイ
このような歴史のなかで、私はホンダの研究所で1980年代前半からホンダの乗用車主体の4輪ラインナップに対する新ジャンル商品の検討プロジェクトに参加し、小型ピックアップやミニバンほかの商品コンセプトについて市場調査を重ね、ソフトとハード両面で検討しながら企画案を立案し、経営者への提案を展開してきた。
その当時、エンジン横置きFRの小型ピックアップやアコードのプラットフォームを活用した3列シートミニバンなど、ホンダラインナップへの新たなジャンル商品をソフトとハード両面で提案したが、経営者決裁を獲得することは残念ながらできなかった。
その後、1990年代前半にホンダ4輪事業が莫大な投資に加えて伸びない販売実績のため、社業が傾きかけた時、1994年に初代オデッセイを発表販売し、商品ラインナップも広がって4輪事業の勢いが回復してきた。
初代オデッセイは、日本のみならず北米はじめ全世界で販売された。また、日本市場では、ライフクリエイティブムーバーとして、オデッセイのほか、S-MX、ステップワゴン、CR-Vのフォーメーションで、一大旋風を巻き起こした。
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